ものみの塔の希望的妄想、終わらない「終わりの日」

ものみの塔の終わらない「終わりの日」

『良心の危機』、第10章 1914年と「この世代」から。「この世代」が死に絶える前に、世界に終末が到来するというのが、ものみの塔の年代予測。

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「この世代」というのは1914年の世代。エホバの証人にとって、当初は終着地点だった1914年はいつか始まりの年になり、その始まりの解釈も延々と先送りされてきた。

1914年の世代、当初は1914年に壮年だった者の世代、この人たちが最大限長生きしたとして130才になるくらいまでに、この世の終わりが来るとされていた。

これが徐々に延ばされ、第一次世界大戦の終戦のまで世代は引っ張れると、終戦の1918年までの4年間をチマチマと稼いでみたり。

さらに時が過ぎると、1914年生まれでもいいんじゃねと、1914年生まれの赤ちゃんが全員寿命で死に絶えるまでと延長。

現在の設定では、1914年っぽい雰囲気を味わった世代が死に絶えるまでとなっているはず。解釈次第でどこまでも延長できる実質無期限。

1914年だと日本だと大正時代、はいからさんが通るの頃。大正ロマンなんてとうに失われているので、とっくに時間切れ。しかし、ものみの塔に言わせれば、1914年以降の終わりの日が継続中という設定らしい。終わらない「終わりの日」が。

ものみの塔の予言は単なる見解、信ずるに値しないのだが・・・

真理ではない1914年のものみの塔教義

ものみの塔はこんな冗談じみた教理を普遍的な真理だと言う。コロコロ変わっていて普遍も真理もないのだが。「良心の危機」ではこの茶番劇をこう表現している。

今日「現在の真理」である教義がそのうち「過去の真理」になるのであれば、その「過去の真理」の代わりに出てくる「現在の真理」もそのうちに「未来の真理」が出てくればなくなってしまい得る

こんな風に「真理」という言葉が使われるのでは真理の意味がなくなってしまう。

その通りで、ものみの塔の教理は真理ではない。

1914年の教理は、ものみの塔統治体の権威の根源になっている。そのため打ち棄てることのできないモノで、信者たちには忘れて欲しいというのがものみの塔の真意。

ものみの塔会長の発言で

1914年、これはよくわからない。我々も1914年の話はずっとしてきている。正しいかもしれないし、そうであってほしいとも思う

もはや単なる希望的妄想。

そして、一旦は無根拠1914年教理を捨てるための検討が統治体でもなされる。その手段として

ある教義についてしばらくの間黙っておいて、それから変更を加えるとあまり目立たない

ものみの塔のアキレス腱である1914年の教理から、いかに信者の目をそらしつつごまかすか、この後、茶番は加速する。


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