人間だから間違うというものみの塔協会は信用に値しない
『良心の危機』第7章「予言と独断」。本章の末尾部分でものみの塔の「目ざめよ!」誌1993年3月22日号が掲載されている。内容は、ものみの塔が予言をハズしまくったことに関して、偽預言者ではないという見苦しい弁明。
この「目ざめよ!」の1993年当時の私は、エホバの証人脱会決意を固めていた少年。中学生になる直前。この記事を覚えていないのは、ろくに読んでいなかったからか。脱会する数年後に読んでいれば、ものみの塔のことをボロクソに言う材料にしたと思うのだが、今代わりに言っておこう。
この「目ざめよ!」誌の本文はこう。予言する人について
自分の語っている事柄は正しいと誠実に信じている人もいます。そうした人々は、聖書の言葉の一部や物理的現象について独自の解釈に基づいた期待を唱えます。エホバから直接啓示を受けて予言している、つまりエホバの名前によって預言しているとは唱えません。ですから、そのような場合、予言がそのとおりにならなくても
偽預言者とみなすべきではありません。人間は誤りを犯しやすいため、物事を誤解していたのです。
だから、ものみの塔を偽預言者と呼ばないでということ。もともと独自の見解を述べているだけだし、人間だもの、間違いはあるから許してねと。
ここに書いてあることが全て真実だとは決して思えないが、話の筋には辻褄が通っている。以下の流れ。
- ものみの塔は誠実な人間の集団で、聖書の独自解釈で予言している
- そして、人間なので間違うことも多々ある
ということ。よく理解できる。つまりは
- ものみの塔は信用に値しない
もうちょっと優しく判断すると
- ものみの塔の予言は信用に値しない
くらいだろうか。
例えば、この馬が来ますよとか、この株が上昇しますよ、この土地は今がお買い得ですよと、予想する人たちがいたとする。
この人たちは、常識外れでろくに働きもしない。しかし、馬とか株とか土地には詳しいようで、年中その専門分野を集中してやっている。そして、本質は全く分からないけど、外見から判断すると誠実そうには見える。
という訳で、一旦は信じて言われるままに土地を買ってみた。
しかし案の定、地価は暴落。
その際の言い分が
「人間だもの。間違い勘違いはある」
それならば、許そう。信じたこちらが悪い。しかし、次はもうない。もう二度と信じない。大抵はそうなる。
ものみの塔も同じ。人間なので間違う。しかも何度も。予言をハズシ続けてやがて150年。この予言が信用に値しないのは明らか。それは、ものみの塔自身も言っている。人間だから間違うと。
そして、いかに見た目が誠実に見えようと、終末予言で売っているものみの塔の予言が信用できないのなら、ものみの塔本体も信じるに値しない。
結論、ものみの塔は偽預言者ですらない。単なる自己見解による当たらない予想屋。相手にする価値すらない。