思い通りに生きたいというエホバの証人二世の願い
私は生まれながらのエホバの証人という宗教の2世信者だった。エホバの証人、通称JW。私は14歳になる年に自分の意志でエホバの証人をやめる。「もうエホバの証人の集会に行かない」と両親に告げたのが14歳の夜。その夜以来、異常に熱心なエホバの証人だった両親と心を割って話したことは一度もない。
そして、この決別の晩から既に23年という月日が経過した。それにも関わらず、未だにものみの塔協会に関わる悪夢で目が覚めることがある。今朝もそうだった。設定は毎回微妙に違うのだが、だいたいは私がエホバの証人をやめると両親に告げるその瞬間。
エホバの証人をやめたいと小学校の高学年の頃から考え始めていた。それをやっと実行できたのが中学2年生の秋。エホバの証人をやめる、集会にも布教活動にも行かないと決めてから、なかなかそれを両親に言えなかった。この頃は本当に辛かった。
やりたくもないのにエホバの証人の布教活動で見知らぬ家の呼び鈴を鳴らし、仕方なくエホバの証人の王国会館に通い続けた。最悪な日には、王国会館で壇上に立って”割り当て”られた朗読と講演の真似事をしなければならなかった。
若い限りある時間を無為に浪費しているという実感があった。自分自身の願い、希望のために、思い通りに自分の時間を使いたかった。私はこの頃、時間に関しては異常にシビアな感覚を持っていた。
エホバの証人であることが嫌だった私は、ハルマゲドンで死ぬ覚悟が出来ていたから。
当時の私はものみの塔協会の深いマインドコントロール化にあった。ハルマゲドンというこの世が終わりが近いうちにくる。そして神の目に適ったエホバの証人以外は全員滅ぼされるというのがものみの塔協会の預言。私はその預言を信じ込まされていた。
私に残された時間は尋常でなく少ないと思っていた。ハルマゲドンが勃発し”この世の事物の体制”と私自身が葬り去られるまでに何とかエホバの証人をやめなけれならない。今この瞬間を自分の願いそのままに生きたいと考えていた。
自分の願い通りに生きたことなど、生まれながらのエホバの証人2世だった私には一度も無かったから。
エホバの証人二世の悪夢とトラウマ
37歳になった私の今朝の悪夢。現実とは設定が違っていた。夢の中の私は、30歳を過ぎた現在までエホバの証人をやめることが出来ていなかった。そして、母親に対してエホバの証人をやめるとちょうど宣告する瞬間だった。
今朝の悪夢には父親は出てこなかった。父親には彼が還暦になった今でもおそらく腕力ではかなわず、知的な口論でも勝てないような気がする。その父親が今朝の悪夢では不在だったので、私は母親に対して言いたい放題だった。
夢の中の私は冷静さを失っていて、ものみの塔協会の不義と欺瞞的体質について何から何まで母親にまくし立てていた。
輸血が解禁されている国があるというものみの塔協会の驚きの冗談(実際には輸血拒否で失われた尊い生命があるので冗談どころではない)を母親に告げるのを忘れていて、それを言おうとした所だった。
夢の中の母親も馬鹿ではない。思い当たる所があったようで
「じゃあ坂井さんも逃げ出したの?」と私に聞く。坂井というのは父親の聖書研究の相手をしていた恐ろしく怖い厳格な”長老兄弟”の名前。坂井兄弟でなく、さん付けで呼んでいたのが、夢の中の母親が正気に戻りつつある気配だった。
逃げ出すというのは、確信犯で悪事が発覚したときの対処。あんなにも自信満々だった坂井氏も実は被害者で騙されていただけ。
逃げ出すとすれば自分の悪事の露呈を防ぐためでなく、自分のしてきたことや自らが生み出した被害者に対して顔向け出来なくなったため。または、私の父親のように自分自身や家族から逃げ出すということ。いったいどちらの意味だったのだろうか。
今朝はこの辺で悪夢から目覚めた。既に家族全員がエホバの証人をやめることが出来ていることに一安心する。
王国会館という不浄の領域に通うのをやめて、やがて20年。それでもこんな悪夢を見る。エホバの証人2世として幼い頃から少年期にかけて受けた傷は、決して完治することは無い。