エホバの証人をやめる者と残る者の確執
本ブログに、初めてコメントを頂きました。ありがとうございます。
コメントを確認している過程で気付いたのですが、メールアドレスを登録しないとコメントできない設定になっていました。煩わしそうですのでこの制限をはずしました。コメントやお問い合わせは、批判や中傷でも大歓迎です。
今回コメントを頂いた方はエホバの証人2世として10代までを過ごされたそうです。兄弟の方がいらっしゃって兄弟でエホバの証人2世としての活動を強制されたとのこと。
私は一人っ子だったので、兄弟揃ってエホバの証人2世として育てられるという経験はありません。
家族で同時にエホバの証人をやめるのがベストです。
エホバの証人をやめるタイミングにズレがあると、兄弟関係の決定的な損失につながってしまう可能性があります。これは兄弟だけでなく夫婦や親子、友人関係にも当てはまることです。
この方は、エホバの証人をやめてからが本当の地獄だったとおっしゃっています。地獄の要因を自己の外で考えると、教団に残る者と去る者の間の確執があります。
教団に残る者は、ものみの塔の語ることが真理でそれ以外に救いはないと完全に信じ切っています。それならば、肉親が教団を去ることを何としても押し留めたいと思うのは当然のこと。さらには肉親が反対者となれば、愛情が憎しみに似た感情に変化します。
エホバの証人家族が見るべき地獄こそが真理
エホバの証人家族を仲たがいさせるのは、実はものみの塔です。
ものみの塔に楯突く者は、全てが悪魔サタンの手先であると信者たちに信じ込ませているからです。たとえそれが家族であっても。
人間的によほどできた人でなければ、自分の意見と相違ある者たちに対して愛情を示すことは出来ません。キリストはその手の大人物でしたが、新興宗教やカルトに陥ってしまう了見の狭い人々に、そんな高レベルの人徳を求めることは不可能です。
つまり、エホバの証人が他人の意見を傾聴するなんてことはありません。
反対者たちにすら愛を示すようにと、ものみの塔は建前上は言いますが、その裏では、この世の人々との交わりを避けるようにと言っています。
排斥者に対する態度はもっと酷くなります。家族であっても不必要な接触を避けるように強制されます。
エホバの証人をやめる側も複雑な感情を抱えることになります。エホバの証人として教団に残る親に対して、憎しみにも似た思いを抱きます。10年以上に渡って、不自由で過酷な生活を強制されたことは恨みにもなりかねません。
エホバの証人をやめた後でも、ものみの塔の価値基準を押し付けようとしてくる親に対して、強く反抗的な態度に出なければならない場合もあります。
エホバの証人をやめた瞬間は、圧倒的な解放感によって興奮状態にあります。その瞬間に、まだマインドコントロール状態にある人々を愚かだと思い、蔑む気持ちが生まれるのは必然です。私も、毎週毎週王国会館に通う両親を愚かだと思っていました。
こうしてエホバの証人の家族は、お互いに憎しみ、傷付け合う地獄の日々を見ることになります。そんな地獄を味わうくらいなら、盲目のまま王国会館に通い続ける方がましだと言う人がいるかも知れません。
しかし、それこそがものみの塔の思う壺。
人生は一度きり、例え地獄を見ることになろうとも悪人たちに利用されるだけの人生を歩んではいけません。偽りの真理に惑わされず、本当の人生の意味、真理を探さなくてはなりません。
エホバの証人が最初に見つけるべき真理、それはカルトに騙され、貴重な人生に損失を被ったという現状認識。その先にしか、より良い未来はありません。
本当の真理ありましたか?
人生の真理とは「人生は短く、これっきりだから価値がある」ということです。私は「永遠の命」などまっぴらごめんです。そこには一瞬の輝きも快楽も興奮もない。そんな死んだような日々が永遠に続くなんて考えもしただけで地獄です。快楽や興奮でなければ家族と過ごすささやかな日曜の朝、王国会館に連行されて貴重な人生を浪費しなくて良い日曜の朝、こんな一瞬に価値があるというのが人生の真理でしょう。