エホバの証人という虚構の世界、ニセモノの友人関係

限定的友情しか持たない、薄情なエホバの証人

エホバの証人は、職場では変な奴、怪しい奴と思われる。そのため、同僚と友好な関係を作るのは難しい。むしろ教団側もそれを勧めている。”この世”の友人は持たず、深い交友を行わないように勧めている。

私のような生まれながらのエホバの証人2世信者は、大人になってエホバの証人をやめたときに、自分がいかに友人を持たないかということに否応なく気付かされる。

エホバの証人の交友関係は、自分がエホバの証人である間だけという条件付き、限定的友情エホバの証人をやめた人の元から、信者たちは去って行く。困っていても積極的に助けの手を差し伸べることはない。そこまでの関係。

いざ何らかの助けを求めたとしても、現役エホバの証人たちは脱会信者に対して、まずは教団への復帰を促すことを最優先にする。復帰した後であれば経済的援助であれ、何であれ、多少は助けになってくれるかも知れない。

エホバの証人感覚での友人とは、真の交友関係ではなく、教団を通じての関係。相手がエホバの証人である限り、という条件付きの友情。

エホバの証人組織からの脱出

エホバの証人は、教団外の友人すべてを信者である間に失ってしまう。または、エホバの証人2世の子どもとして成長したために、一切”この世”の友人ができなかった、作ってこなかったという状態。

現役エホバの証人に至っては、もはや普通の友人の作り方が解らない。エホバの証人でない人と、宗教勧誘以外でどう関われば良いのか不明。

エホバの証人にとって、教団を脱会することは唯一の交友関係を失うことを意味する。これには大きな孤独と疎外感を伴う。これが嫌で、エホバの証人は教団組織にしがみつかざるを得なくなる。高齢のエホバの証人ほど、この傾向が顕著。

とあるエホバの証人が、教団の不義やその教理がウソだと知り、信者をやめたいと思ったとする。しかし、足かせとなるのは、教団内にしかない唯一の交友関係。その交友関係を失いたくないがために、エホバの証人を脱会できない信者もいる。

教団の教理の矛盾に気付き、組織の隠蔽体質に嫌気が差したとする。しかし、それでも自分の唯一の居場所を無くさないために、エホバの証人をやめる決断ができない。ただ、

人は友人が一人もいなくても生きていくことができる。とても孤独だが、人間らしく生きていくことはできる。エホバの証人組織の中で、ニセモノの人間関係と、堅苦しい教理に縛られて生きていくよりはよっぽどまし。

エホバの証人の世界は、下らない虚構の世界。そこでの人間関係・交友関係はすべてニセモノだから。あなたがエホバの証人であるならば、という条件付き限定友情。そんなものは無価値。

現役エホバの証人のすべての人は、勇気を出して外のリアルな世界へ飛び出すべき。そして、孤独を嚙み締める。そこから本当の人生が始まる。幸いなことに人間はどこからでもやり直せる。死ぬ直前にだってやり直すことはできる。

エホバの証人が知らない限りあるゆえに輝く人間の生

エホバの証人を辞める者と残る者の確執


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