友達を作りにくいエホバの証人2世の子供
私の両親はエホバの証人というカルト宗教の信者だった。我が家は、エホバの証人が言うところの「神権家族」。一人息子だった私は、当然のようにエホバの証人であることを強要された。私は14才の時にエホバの証人をやめ、その後、父、母の順で脱会。
私がエホバの証人をやめてから、父と2人で話す機会はほとんど無くなった。その父からこう聞いたことがある。両親が離婚し、父が家を出て7~8年ぶりに再会した時の話。
「お前を友達の出来にくい育て方をしてしまった」
この話をしたのは私が30才くらいのとき。
私は父に、高校時代の友人との付き合いが今でもあることを話した。この際、父は「お前を友達の出来にくい育て方をしてしまった」と言い、「今の友人たちを大事にするように」と。「そういう友人を(私が)持っていることが嬉しい」と言った。
私の両親は、エホバの証人一家という劣悪な環境で一人息子の私を育ててしまった。父はこのことを深く後悔していた。良かれと思ったことが決定的な間違いだった。
私には両親を責める気持ちは一切無い。しかし私は、息子を持つ同じ立場になって、両親と同じ過ちを繰り返してはならないとは思っている。
学校で行われる季節毎の行事一切を拒否させ、週3回のエホバの証人の王国会館での集会、週末には子供の頃からネクタイを締めて布教活動に歩き回らせる。たしかに、こんな変わり者のエホバの証人2世には友人が簡単にはできない。
そして、両親からはエホバの証人でないクラスメイトとの付き合いは、極力避けるよう管理されていた。
禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活~エホバの証人(JW)のできないことまとめ
全ての友人を失うエホバの証人
父も私も、お互いにエホバの証人をやめて7~8年ぶりに再会した時のこと。この頃の父には、友人と言えるような人が一人もいなかった。
父はエホバの証人になり転職。旧友や当時の同僚との交際は消滅。その後も仕事や居住地を転々とし、世俗の人間関係も構築されず。むしろ、世俗のつながりを築かないことをエホバの証人組織は求める。
エホバの証人はエホバの証人だけと付き合えばいいという思想。このように信者を孤立させ、深いマインドコントロールの海へ沈める。教団外に友人を持たせないことで、脱会の際の障壁とする。人は孤独を恐れるものだ。
父はエホバの証人の会衆の長老という立場だった。エホバの証人の大会では千人以上の信者の前で講演をするようなポジションだった。しかし、父は自分の親族や古い友人に対して、エホバの証人の勧誘を熱心に行わなかった。これが私の母とは違う点。
下手にエホバの証人的アプローチをしないからといって、一般の人と友好な関係を継続できるわけでもない。自身の第一としているモノ(=信仰)を、身近な人に積極的に話せなかった。結局、腹を割ってなにも話せないということ。
父が身近な人に対して熱心に宗教勧誘をしなかったのは、自身の信仰に迷いがあったのか、宗教勧誘することに気まずさがあったのか、定かではない。いずれにせよ、教団は世俗の交わりを避けるように求めてくる。信仰を異にする旧友、親族とは距離を置くしかない。
父はエホバの証人脱会後に喫煙を再開していた。これは教団組織から排斥(=破門)となる事案。エホバの証人側の人間にしてみれば忌避する対象者。逆に、当時の父は、エホバの証人のことを「宗教」と呼んで嫌っていた。エホバの証人組織の人々との交流は、父が脱会したことで消滅。
こうして、エホバの証人をやめた父は、教団内外の全ての友人を失い、母とも離婚し完全に孤独になった。
それでも、父はエホバの証人をやめて良かった。人は独りでも生きていける。偽りの希望にすがったり、偽りの教えで人を惑わせ、他人の人生を狂わせるくらいなら、孤独な方が一千倍はマシ。
それに、いつでもどこでも新しい人間関係は構築できる。「エホバの証人であるならば」という、条件付きのエホバの証人の疑似交友関係に比べれば、どんな人間関係でも百倍マシだ。
“全ての友人を失うことになる元エホバの証人(JW)” への1件の返信