エホバの証人が知らない、限りあるゆえに輝く人間の生
私がエホバの証人をやめてから長く年月が過ぎた。私は、すでに細かいものみの塔の教理は忘れてしまった。エホバの証人をやめて20年経っている。1914年の教義が嘘偽りで初代会長ラッセルの単なる思いつきであることを、細かく論理立てて説明することは出来ない。
※2021年追記、現在、敵を知るためにものみの塔の資料を調べている。
ものみの塔の教理は、実はラッセルの思いつきではない。ラッセルが他のキリスト宗派で学び、ピラミッドの神秘主義と融合させたもの。1914年の教義はピラミッドの内部構造から緻密に計算された。このピラミッドは特に何の意味も無く、予言も大ハズレの不正解だった。
このラッセルの組織をそのまま2代目会長ラザフォードが乗っ取り、組織化、現在のエホバの証人組織となった。
こんな私にただ1つだけ言えるのは、
人間の生涯は限りあるから美しく価値があるのだということ。我々の儚い一生は永遠の命よりもずっと素晴らしい。その限りある時間を無駄にすべきではない。
あなたが「エホバの証人をやめたい」と考えていて、教団に残る家族との関係が気がかりならば、愛する人たちに対して「人生の貴重な残りの時間をともに歩んでいきたい」と伝えれば良い。
あなたのマインドコントロールが解けておらず、ハルマゲドンが恐ろしいとする。それでも、家族に伝えるべきことを伝え、生涯で成すべきことを成せばそれで良い。それならば、例えハルマゲドンで死んでも後悔は残らない。
そもそも我々人類がハルマゲドンで突然死することはないので、その心配はない。ハルマゲドンはエホバの証人のウソだから。
ブラッド・ピットの『トロイ』という映画がある。その中にこんな台詞が出てくる。
The gods envy us.
They envy us because we’re mortal.
Because any moment might be our last.
Everything’s more beautiful because we’re doomed.
You will never be lovelier than you are now.
We will never be here again.
神々は羨んでいる
限りある人の命に
いつ死ぬか分からない
終わりがあるからこそ美しい
美貌もいつかは衰える
“今”は二度とない
自分の儚い生を、永遠に死ねない神よりも上に置くべき。貴重な「今」を省みるべき。ものみの塔が予言する楽園で、ダラダラと永遠に生きることに何の意味もない。そもそもその楽園は実現しない。
エホバの証人の人間劇場はユーモラスな悲劇
エホバの証人組織を出てしまえばマインドコントロールは解けやすい。落ち着いて外からものみの塔を見れば、矛盾を埋めるためのツギハギだらけの教理と、都合の悪いことを隠すために偽善だらけであることが解る。
ものみの塔という組織を偶像のように崇め奉るエホバの証人。その姿を冷静に見ると滑稽に見えてくる。自らが固く禁じている偶像崇拝の対象に成り果てているという、エホバの証人の皮肉。
また、ものみの塔は自らが大いなるバビロンと呼んで毛嫌いしているカトリック教会と何ら変わらないピラミッド構造の組織。
ものみの塔は至る所にアイロニーを込めたユーモラスで冗談じみた組織なのだが(そのギャグが故意か偶然なのかは知らない)、この組織にマインドコントロールされたエホバの証人の生涯は悲劇でしかない。
「エホバの証人よ、目ざめよ!」って言っているのはものみの塔なんだよ。「ものみの塔のマインドコントロールから早く目ざめよ!」って。
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