人間の姿に似せて想像された神、ものみの塔によるマインドコントロールの解き方

神々という虚構を造り出したのは人間

エホバの証人はエホバの証人しか愛さない。家族であっても同じ。家族がエホバの証人的罪を犯し、組織から破門になる排斥処分を受ける。すると、家族であっても愛情量を大幅に削られることになる。

マインドコントロール下のエホバの証人は、親子や家族の絆よりも神(というか、ものみの塔という偶像)を優先させる。

子を取るべきか、神を取るべきか、結論は単純。子だろ。そんな簡単な決断すら誤る、精神的に未熟な親に、神は厳しい試練を与えはしない。

「息子を屠れ」と言われたアブラハムやその子イサクと、我々は違う。アブラハム親子はキリストの祖先となる選ばれた血統だった。命を賭しても、親子の信頼関係や神への愛情が揺らがなかった聖人。

そこら辺にごまんといるエホバの証人親子とはわけが違う。ほとんどのエホバの証人の親子は、ものみの塔信仰を巡って親子関係を決定的に損なうことになる。片方がエホバの証人をやめれば、家族関係に異常をきたす。

アブラハムに犠牲として息子イサクの命を求めたのは神。しかし、エホバの証人に親子関係の決裂という犠牲を要求しているのは神ではない。世界に無数にはびこる新興宗教組織の1つに過ぎないものみの塔。

マインドコントロール下にあるエホバの証人には信じがたいことだろうが、

神のために人がいるのではない。人間のために神が存在し宗教がある。そもそも人間が神の創造力によって造られたのではなく、神々が人間の想像力によって生み出された。

自身への信仰のために「息子を捧げよ」という残酷なことを口に出来るのは、その神が人間による想像の産物だから。人間の持つ残酷な一面が、虚構の神によって浮き彫りにされている。

神の姿に似せて人間が創造されたのではなく、人間の姿に似せて神が想像された。ものみの塔の主張するエホバもハルマゲドンも、所詮はこの人間の想像力から派生した紙屑みたいなものに過ぎない。

エホバ「アブラハムさん~、息子をぶっ殺しなさーい」

ものみの塔によるマインドコントロールの解き方

エホバの証人をやめるときに問題となるのは、家族の中に現役信者がいる場合。家族全員が一致して同時にエホバの証人をやめるのが理想。時間や気持ちに余裕があるのなら家族で徹底的に話し合うことが望ましい。

これはあくまで理想で、そうは問屋が、というかものみの塔が許さない。徹底的に信者をマインドコントロールしているから。

私の両親のように、エホバの証人をやめるタイミングにちょっとでもズレがあると、家族や夫婦関係に問題が生じる。片方は酩酊状態とも言える深いマインドコントロール状態、そして、もう片方は覚醒したばかり。

覚醒後はエホバの証人1人1人に対してさえも強烈な嫌悪感を覚えることがある。ついさっきまで自分もそっち側だったのに。だからなおさらの嫌悪感なのだろう。この感覚の違いは、家族間に決定的な決裂を引き起こす。

深いマインドコントロール状態にある家族に、ものみの塔の偽善体質や教理の矛盾を徹底的に説くのは良くない。マインドコントロール下にあるエホバの証人は、それはサタンの攻撃だと信じ込まされている。家族がサタンの手先になったと思い込む。

ソフトに忍耐強く、かつ深い愛情を持って、ものみの塔の矛盾をさりげなく指摘していくしかない。

それだけの心の余裕があればの話だが。


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