エホバの証人をやめたあとの反動、自由な生き方とは・・・

禁止事項の多いエホバの証人2世の反動

私は14才の時に自分の意志でエホバの証人をやめた。しかし、その後の人生は停滞することになった。その原因は何だったのか考えてみた。

エホバの証人2世だった頃は、過剰に抑制されていた。あれもダメ、これもダメ。すべてものみの塔の戒律に従って制限された。テレビも見られなかったし、ゲームは絶対ダメ、男女交際なんて永遠に禁止だった。

エホバの証人をやめて、その制限から自由になった。すると私は、何もかもを手に入れたいと思い始めた。何でも手に入れなければならない。ナンバー1にならなければならない、という思いに駆られる。

ありとあらゆるテレビ番組と映画を見なければならないし、本もゲームをあらゆるジャンルのモノをすべて見なければならないと考えていた。それには余りにも時間が無かった。

しかし、何もかもを手に入れ、1番になるなんてことにこだわる必要は全くない。ある程度のモノをがあれば充分だし、頂点に立つ必要もない。

なぜなら、

今までが無さすぎた。制限されすぎた。エホバの証人であると蔑まれ、疎まれてきた。それの状態から自由になれば、充分に楽しい人生を送れる

自意識過剰な元エホバの証人2世の脱会後

子どもの頃から、学校の行事に参加できないため変人扱いされた。奇異の視線を浴びた。学校の給食の前には、一人だけ合掌でなく祈りのポーズのド変態。こうして私は、周囲の視線を怖がる性格になった。過剰な自意識が養われた。

エホバの証人をやめた後でもこれは変わらず。誰にも彼にも見られているし、注目されているから、見返してやらなければならない。1番になって誰よりも幸せにならなければならない、と考えていた。

これも間違い。変わった宗教をやっていた、という親ゆえの過去があるだけで、周囲の人はそんなことを気にも留めていない。自分の意識ほどに、周囲の人は私に注目していない。

そもそも、

周囲の人々にどう思われるかというのは、我々の幸不幸に直接影響しない。自分の幸不幸に関係するのは、自分が何を大事にし、どう生きているかということだけ。

自分がカルト宗教2世被害者であった過去とどう向き合い、自由になるか。そして、無限の選択肢の中からどんな将来を選ぶか、それが第2の人生のテーマ。

私にとって、そのテーマのひとつが、ものみの塔を崩壊させ、不幸なエホバの証人を撲滅すること。このためにこのブログを書き、活動している。

本当に自由に生きるためには、エホバの証人だった頃に養われた過剰な自意識から自由になること。他人にどう思われるかは、私自身の人生に何ら影響しないとキッチリ自覚すること。まずここからかと。

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