エホバの証人の間違った教育方針
私の両親は、ものみの塔協会の言うとおりに私を育てていた。そして、それが完全に絶対に間違いのない方法だと信じ切っていた。理由は、ものみの塔協会の洗脳下にあったから。
両親は、エホバの証人でない親戚やクラスメイトの親についてあからさまに批判することがあった。判断基準は、ものみの塔協会の指導する子育て方法にのっとっているかいないか。たったそれだけ。
今、私が実際に育児をしていて考えるのは、子育てに正解などないということ。子供にとってそれぞれ適切な手段があるし、親の経済・精神状態にもよる。
逆に、何も考えずにものみの塔協会の言うとおりに子育てしていれば大丈夫というのは軽率。安易に安心出来る方法で楽なので、洗脳されている信者はこの状態を心地よく感じる。
エホバの証人のムチという体罰は有害でしかない
またエホバの証人は、ものみの塔協会の教義が全てで、それに従っているかいないかの二択でものごとを考える。子どもという一つの人格に対しても、同じように白黒二択の教育方針を適用する。
ものみの塔協会の教えに従っていれば良い子、神様にも親にも愛される。ものみの塔協会の教義に従っていなければ悪。裁きの日に神に焼き尽くされる。
エホバの証人の親は、子供よりもものみの塔協会を優先するので、信者の子どもたちは組織の戒律に反していると親にも愛されない。
しかも、ものみの塔協会の教義に反した子どもは、親から懲らしめという体罰を受ける。親は手加減せずに積極的に懲らしめの鞭(ムチ)を用いよとものみの塔協会によって洗脳されている。
思いっきりお尻を叩かれる子どもにしてみれば、愛のムチであるとかそんなものは全く関係ない。痛みがストレートに心まで届く。こんなに痛い目に遭わせる親は自分のことを愛しているのか?心はそう悲鳴を上げる。
間違った子育てをしている親が今から出来ること
子育てに正解はないのだが、暴力はダメなのと親の思い・信条の押し付けは絶対にダメ。
暴力を加えれば、子どもはそれこそが物事の解決策だと学ぶ。虐待は連鎖する。虐待されて育った子どもが大人になれば、自分の子供や家族に暴力を振るう。それがものごとを簡単に解決する方法だと、自身が親から教わったから。
子供に自分の思いや信条を押し付けるのは、無能な親のすること。自分の価値観以外を認められないのは、無力で余裕がないから。自分に自信がないから。ましてや押し付けがものみの塔というカルトの押し売りならば、親は何のために存在しているのか?有害で邪魔なだけ。
子どもの本質を見極めるなんてのは難しい。であるならば、親が自身の意志で楽しく生きている様を子どもに見せるしかない。思考放棄してものみの塔協会の言いなりになっているというのは子供の教育上、全く良くない。
物事に遅すぎることなどない。自分が生きている間に、エホバの証人になってしまったことを悔い改めるべき。子に詫び、家族や親類に詫び、自分で物事を選び苦悩する様を子供に見せるべき。そして少しでもいい方向へ進もうと努力する。その姿こそ本来の人間らしさであり、親が出来ること。
変態的な懲らしめという児童虐待の犠牲者であるエホバの証人2世