この世を彷徨う元エホバの証人たちへ

元エホバの証人の生き方とは

私は、20代半ばで会社員を辞めてパチプロになるという決断をした。真面目な会社員であるということは、私の主義に反すると考えたから。私の主義とは反ものみの塔協会、非エホバ的生き方。

ものみの塔協会のせいで、私はお気楽で一般的な子供時代を送ることが出来なかった。さらに家族をも失った。ものみの塔協会に対する復讐として、エホバの証人を全否定した生き方をしなければならないと考えていた。

真面目なエホバの証人のようであってはならない。不真面目で自堕落な生き方をすることが、ものみの塔協会に対する逆襲であると勘違いしていた。

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元エホバの証人に欠如する辛抱強さ

私のパチプロ生活だが、全く成り立たなかった。サラリーマンと並行してパチンコ屋に通っていたときの収益力・安定性が全くなくなり、すぐに生活に不安が生じた。原因は全て私自身にあった。

私には、パチプロを続けるだけの我慢強さ、忍耐力がなかった。パチプロとしては、勝つ見込みの無い日は打たないことも大事な決断。しかし、私はこれが出来なかった。負けが込んで焦り出すと、どうしても無謀な勝負に出てしまう。

無謀な勝負に出たのなら、最後まで戦い抜くべき。これも私には出来なかった。中途半端なところで引き返して、無駄に金を失う。無謀だった間違ったと思う心があるから途中でやめてしまう。悪循環。こうなると、正しい決断をしても自分の意志と心中できなくなってしまう。

エホバの証人に求められる九つの特質というのがあって、子どもの頃、何度も唱えさせられた。

愛、喜び、辛抱強さ・・・

云々かんぬんと続くのだが、後は忘れた・・・。この辛抱強さとか忍耐とか、そういったものが私には一切なかった。

自分の意志で生きることを許されないエホバの証人2世

幼い頃からエホバの証人として育てられ、自分の意志で何かをすることが許されたことは一度もなかった。何をするにも、ものみの塔協会の教義に沿っているか否かで、両親に判断された。

そもそも、エホバの証人の活動以外は全て余分なこと、そんなことに時間をとられるなというのが家庭の方針だった。

自分で決めたことを最後までやり抜く。こういう体験を、私は子どもの頃から一切積んでこなかった。嫌々やらされているエホバの証人活動だけ。しかも、それは全て無駄な嘘っぱち活動で、私は14歳のときにそれを放り出した。

エホバの証人の活動が全て無駄で、嘘だと気付いたのは20歳を過ぎてから。洗脳が解けたとき。かつて苦しい辛い思いをして14年も取り組んだ全てのことが無駄だった。そう知ったときの絶望たるや計り知れない。放心状態になる。

親の強制ではあったが、長期間、唯一継続してきたエホバの証人活動。その全てがただの人生の浪費だったと気付いた。これが原因で、続けるということへの熱意が失われてしまった。私が、何ごとも粘り強く続けられないのは、エホバの証人2世だったから。

それでも人生はいつでも今からやり直せる

しかし、最近私が思うことは、人間はどこからでも変われるということ。小さな成功体験をすることがその一歩。自分で考えて、選んだことをやってみる。途中で諦めずにゴールまで、もしくは成果が出るまで続ける。

これは本当に些細なことで良い。子どもの頃に出来なかった継続して成功する、やり遂げるという経験をするため。さらに、その小さな成功体験を繰り返し、徐々に目標を拡大していく。

ありふれた表現だが、小さなことからコツコツとが、元エホバの証人として人生を迷う人に似合う言葉だ。

エホバの証人をやめたあとの生き方


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