エホバの証人の親が、子どもたちに与える絶大な無力感

父親によって、軽く否定されるエホバの証人2世の夢

私は、物心ついた頃には既にエホバの証人2世として育てられていた。エホバの証人2世とは、親にエホバの証人というカルト宗教を強要される子どものこと。

私は14才のときに、サッカーをしたいという自分の気持ちを優先させて、エホバの証人をやめた。しかし、そのサッカー熱も数年で冷めてしまった。

サッカーをしなくなった私は、エホバの証人が禁止されている、ありとあらゆるモノに手を出し始める。エホバの証人にとって許されないジャンル(※)のテレビドラマや映画、小説なども片っ端から目を通していった。
※エホバの証人は、性描写が極端なモノや心霊的なモノはすべて禁止

テレビゲームも、ロールプレイングから格闘ゲームまで一通りやることになった。このゲームには貴重な時間をだいぶ費やしてしまった。大抵のゲームには敵がいて闘わなければならない。イコール暴力的ということで、エホバの証人の子どもはゲームが禁止だった。

サッカーをやめた10代後半の私が、将来の目標として描いていたのがテレビドラマや映画などの製作に関わる仕事だった。ストーリーに直接関わるような脚本家になりたいと思っていた。

心を揺さぶる感動を同時に多人数の人に電波やスクリーンを通して発信することができる。その感動には自分の主張を込めることができる。そんな私の夢の話を父親にしたことがある。父親は

「そんな者になりたい人間はごまんといるから無理だ」と、軽く吹き飛ばすように否定してきた。

エホバの証人の親の限界

私が主張することは、やがてものみの塔協会の否定に至る。それはエホバの証人だった父親にとって望ましくない。

また、”この世”のメディアを発信源とする職業を目指すということは、エホバの証人であった父親として、絶対に容認することはできなかった。

何とも悲しい親。父親の発言に、私は大いに動揺した。こういうとき、親は子どもの考えを否定せずに無条件で応援するべき。それが極めて困難だろうと関係ない。たとえ倫理的に大いに間違っていると判断される場合でも、頭から否定してはいけない。

子どもの話をとことん聞き、自ら考えさせ、自分で選んだことをやり遂げられるよう見守るべき。どんな遠大なことでも、諦めない限りは失敗には至らないということを教えるべき。

父は、エホバの証人であったがゆえにこれができなかった。ものみの塔を第一にする立場を、この段階では変えることができなかった。エホバの証人の親の限界。何とも悲しいことだ。

エホバの証人の親が子どもに与える無力感

エホバの証人2世として育てられた私は、幼児期には自分の本当の願いが叶ったことがない。私の本当の願いとは、エホバの証人をやめたいということ。

エホバの証人をやめて、この願いを叶えた後でも、私は自分の夢を親に否定された。この悲しみは、20年経った今でも忘れることができない。

親という絶対的存在に頭から否定される。これは深い傷付き体験になる。自分は無力で何もできない、という思いになる。熱心にサッカーをしていたときもそうだった。父親に「プロにでもなるつもりか」と言ってバカにされた。

中学生でも、プロ選手になるのが困難なことは当然分かっている。それでも努力していたのに、それすら父に否定された。

エホバの証人の子どもは、幼い頃から両親の言うことは絶対。なぜなら両親は神によって与えられた上位の権威だから。逆らえば、懲らしめと呼ばれる体罰、虐待による痛みで、両親の権威を体に覚えさせられることになる。

そうやって育てられたエホバの証人2世は、無力感とともに成長する。力で叶わない親に暴力を振るわれ、私のように頭ごなしに否定される。力で勝てる年頃になっても、否定され続けて、絶大な無力感が残る。この状態から自由になるのは難しい。

自分には何でもできる能力がある。そう意識を変えていく必要がある。諦めない限りは失敗しないのだし、一旦諦めてしまったことでも、また再開すればいい。前進と後退を繰り返し、少しずつ前に進めばいい。

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