親子の絆を断ち切る、ものみの塔の排斥処分
私は生まれながらにしてエホバの証人の2世信者として育てられた。
エホバの証人とは通称JWという自称キリスト教系の新興宗教。ものみの塔聖書冊子協会という名前でも知られている。2世信者とは、親の宗教を押しつけられる子どものこと。
私は、14才になる年に自分の意志でエホバの証人をやめた。
その後は、親や宗教に縛られた反動でやりたい放題の人生を歩んできた。ものみの塔によって禁止されているようなことをあえて選んでやっていた。反エホバ、否ものみの塔という立場を積極的に取っていた。
私は20才で家を出るまでは、いまだエホバの証人だった両親と同居していた。”この世”の法律で禁止されているような、未成年の喫煙や飲酒などにも私は手を出していた。ものみの塔的にも、当然それらは禁止。
両親はこの頃になって、私に対して急に甘くなった。幼い頃にものみの塔の戒律を厳重に押し付けてしまったことへの贖罪のつもりだったのだろうか。持て余していただけなのか。もはやこれは確認しようがない。
未成年の子どもがタバコを吸っているなんて、エホバの証人の親としては発狂するような状況。大人のエホバの証人信者でも、喫煙しているのが見つかると排斥処分になる。
排斥とはエホバの証人的村八分で、組織から追い出され、充分に悔い改めたと認められるまで復帰できない。排斥者とは、家族であっても最低限の接触に留めなければならない。街で偶然会っても挨拶すら禁止。
現役エホバの証人の父親にしてみると、一人息子が喫煙を理由に排斥されてしまうことは避けたかった。それは親子の絆が断ち切られるも同然だから。
私のように、ものみの塔協会に献身する前だと排斥にはならない。献身とはバプテスマと呼ばれ、ものみの塔に何もかも捧げると誓う儀式のこと。私がなかなか「バプテスマを受けろ」と両親に言われなかったのは、排斥回避のためだったのかも知れない。
エホバの証人の両親による教育の反動
私は高校生の頃から、付き合っていた彼女を家に連れてきていた。高校生が部屋で2人きり、しかも相手はエホバの証人とは全く関係の無い”この世の人”。
これもエホバの証人の母親ならば絶叫する場面。しかし、この件に関しても母親はそんなに干渉して来なかった。お茶を出して来たり、時間が遅くなると早く帰るように言ってきたりするくらい。
両親は自身のものみの塔協会への信仰は維持するが、私のエホバの証人組織への反発や教理違反を黙認する姿勢だった。逆に、今まで通りに何もかもを強制すると、私の反発が強まり、強烈な背教まがいの発言をし始めることを恐れていた。
背教行為はエホバの証人にとって最大級の禁忌。矛盾だらけの教理を正当に批判されると、信者のマインドコントロールが解けてしまう。組織の統制が保てなくなる。
エホバの証人の相互監視社会では、背教まがいの言動までは見過ごされることはない。そのため、両親は、私が背教発言によりエホバの証人組織に戻れなくなることがないよう、あの程度のところで見て見ぬふりをしていた。
両親は、私の教理違反を組織に密告することも無かった。この段階では、私が悔い改めて、いつか教団に戻ることを両親は期待していた。
これを逆手にとって、私はますますやりたい放題の10代後半を過ごす。無論、エホバの証人に戻るつもりなど、一切なかった。