1995年、ものみの塔の悪ふざけ「ハルマゲドンまだ来ないっす」
私は生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。14才のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。これが1994年。翌年の
1995年にものみの塔協会は自身の予言に大幅な訂正を加える。それまでは、明日にでもハルマゲドンが勃発し、この世の事物の体制は崩壊するとされていた。それが「ハルマゲドンは明日というほど早くはこないよ」という、緩やかな予言に訂正される。
明日にでもこの世が終わるのだからと、エホバの証人たちは世俗の仕事を捨て、高等教育を受けることも諦め、ものみの塔の不毛な活動に従事していた。
ところが、「そんなすぐにハルマゲドンは来ないぜ」と予言の出元であるものみの塔がいきなり発表。しかも、謝罪も何もない。冗談も程々にしろと言いたいところ。
1995年の私は、エホバの証人をやめたばかりでサッカーに熱中していた。この頃、両親はいまだにエホバの証人。当時、我々親子はエホバの証人に関することを全く話さなくなっていた。
そのため、私はものみの塔の悪ふざけのような、予言の訂正を知る術が無かった。1995年の私は、まだものみの塔による洗脳が解けないまま。幼い頃からの擦り込みの影響。「ハルマゲドンが今すぐにでも勃発する」という恐怖心を抱きながら、サッカーボールを蹴っていた。
この瞬間にでも、天からの落雷で命を落とすのではないかと怯える日々。神の強権、ハルマゲドンを心底恐れていた。それでも残り少ない生涯を全力で生きるべく、ひたすらサッカーボールを蹴り続けていた。
エホバの証人の親子関係の修復
1995年の私が、ハルマゲドンの終末期限が延長されたことを知った所で、たいしてやっていることは変わらなかった。若気の至りで統治体をボロクソに言って両親を悲しませ、両親のものみの塔への執着を煽るだけの結果になっていただろう。
ものみの塔の頂点に君臨する統治体は、自身の根幹教理の予言変更を、できるだけさりげなく行って取り繕おうとしていた。何百万人ものエホバの証人の生活に、大きな影響を与える重要な変更であるのにも関わらず。
私が10代後半だったこの頃、両親とエホバの証人に関する話は全くしなくなっていた。それ以外のことについては、ようやく普通の親子関係になりつつあった。
ただ両親はいまだ現役のエホバの証人で、私はエホバの証人の思想を否定し、深く忌み嫌う立場の人間。この親子関係は擬似的なものだったとも言える。親子ゲーム。親子プレイ。
両親は、この頃になって一人息子だった私を甘やかし始めた。小さな頃にものみの塔の教理でがんじがらめにしてしまった罪悪感からだろうか。
結局、背教して神を呪う息子とは、どう転んでもハルマゲドンで死に別れる。ならば、せめてそれまでは親らしくしようと、ようやく父性・母性に目ざめたということだったのだろうか。
父に、タバコを持っているのを見られても、「家の中で吸うな」くらいにしか言われなかった。当時は、未成年の飲酒喫煙に関してまだ日本全体が緩い時代だった。そして、家の中でも吸っていたし・・・
エホバの証人の束縛毒親から、最高に放任へ。完全に親の在り方を見失った両親。まあ、こまごま言われた所で、私の方は相手にもしなかったのだろうけど。