自分では何も決められない、元エホバの証人2世
エホバの証人の親は、子どもの2世信者の選択に無条件で同意することは絶対にない。子どもの意思よりも、神エホバの目からみてかなっているか、正確にはものみの塔の教理に沿っているか?ということを第一優先にする。
とくに我が家は、父がエホバの証人の会衆の長老という要職にあり、母は全時間の※正規開拓奉仕者という筋金入り狂信一家。その一人息子だった私は、ものみの塔の教理にガチガチに縛りつけられた。
※当時の正規開拓奉仕者は、年間1,000時間もの時間をエホバの証人活動に費やしていた
私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人2世として育てられた。そのため、幼児期から少年期には、私の希望が叶うことは一切なかった。
私は14才になる年に、自分の意志でエホバの証人をやめる。そして、それまでの反動が来る。
生まれてこの方、自分の願望が叶えられたことがないため、私は目についたモノ、気になったモノ、あらゆるモノに興味を示し、試していくことになった。それらは、主にものみの塔の教理で禁止されているようなこと。
自分の心からやりたいこと、本来やるべきこと、なすべきことを取捨選択することが、私にはできていなかった。エホバの証人をやめたばかりで、今まで何も得られなかった分、すべてが必要なことだと思えた。
しかし、ものみの塔の洗脳が解けたわけではなかったので、いつかハルマゲドンが必ず勃発すると信じ込んでいた。その終わりの日に滅ぼされるので、私は寿命を全うすることが出来ない。限られた生の中であらやることをやる必要があった。
酒、タバコ、ギャンブル、セックス、車、あらゆる快楽に手を出した。そういう日常の快楽に忙しくしているため、いまだエホバの証人だった両親のことを顧みる余裕が私にはなかった。
単純な家族の幸せという、自身の本当に望むことをおろそかにしていたのが、私の10代後半から20代前半。自分で何も選択せず、なし崩し的に目の前に現れる反ものみの塔的なものを丸呑みしていく。これでは、
エホバの証人2世としてものみの塔の支配下にあった幼少期と同じ。自分で何も決められず、他人の言いなりになっていた頃と同じだった。
ものみの塔のハルマゲドン延長宣言
14才の私は、エホバの証人をやめてサッカーに熱中していたのだが、それも高校在学中にやめてしまった。単純に飽きっぽいのと、サッカーを死ぬまで続けるメリットより、限られた今を遊び尽くす方に価値があると判断したから。
楽な方に安易な方に流れていったとも言えるが、10代後半の私は、来たるハルマゲドンに充分に備えていた。放課後にボールを蹴って汗を流すよりも、繁華街に遊びに出かける方を優先した。やっとの思いで、ものみの塔の教理から自由になった。自堕落な学生生活を満喫していた。
この頃の私は、エホバの証人のことなど全く思い出したくなかった。現役エホバの証人だった両親とは、ものみの塔に関することを一切話さなかった。
父は、この頃には会衆の長老職を降りた。私がエホバの証人をやめて、やりたい放題していることが、長老辞職の原因のひとつだった。
ただ、父は長老という立場で、教団内の人間関係に関わることに疲れ果てていたようでもあった。それも一因だった可能性はある。
これら一切を含めて、両親とエホバの証人に関する会話はほとんどしなかった。そのため、1995年のものみの塔の禁断の教理変更、ハルマゲドン延長宣言について、私は知る由もなかった。
私は、ハルマゲドンの期限が延長されたことも知らず、マインドコントロール下の両親を放置し、遊び放題やりたい放題の生活をおくっていた。それもこれも、ハルマゲドンという神の裁きに怯えながらも、甘んじてそれを受け入れ、堂々と死んでやる、という覚悟が出来ていたから。
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