エホバの証人布教活動のため、ノーゲーム
私の両親は、エホバの証人という宗教にマインドコントロールされており、私は生れながらにエホバの証人の2世信者であることを強要された。
エホバの証人とは通称JW。自称キリスト教系の新興宗教。2世信者とは親の宗教を漏れなく踏襲させられる子供のこと。
私は、小学校4年生になるときに引越しを経験した。田舎の小学校に転校。転校先で私に出来た近所の友達は、無論エホバの証人では無かった。
土曜の午前中の学校が終わり、その子に誘われて二人で野球をした。当時は、まだ土曜日の午前中に学校の授業があった。1990年代前半のこと。
ちょっと離れた場所にある公園まで2人で自転車を走らせて、野球の試合をすることに。1対1でどうやって野球の試合をしたのか、今となっては疑問なのだが、とにかく2人で野球の試合をした。
しかし土曜の午後には、私にはエホバの証人の布教活動が待っていた。布教活動は信者たちからは伝道とか、奉仕と呼ばれていた。繁華街や駅前で教団の雑誌をもって街宣したり、見知らぬ家の呼び鈴を漏れなく鳴らして周ったりする。
野球を始めて30分もすると、母親との約束の時間になる。つかの間の野球対決に決着はつかず「さようなら」ということに。急いで帰らないと母親に怒られる私のために、その子は自転車でバットを運ぶのを手伝ってくれた。
ど田舎の小学校だったので、1学年につき1クラスしかない。その小学校にエホバの証人の子供が入ってきたのは私が初めて。よく分からない怪しげな奉仕活動とか言っている奴のために、バットを運ぶのを手伝ってくれたその子は朴訥で良い子だった。
こうして出来た貴重な友人との時間は、エホバの証人の布教活動のせいで打ち切り。土曜の布教活動は午後13時から。午前中に小学校の授業があった頃。
普通の子供であれば、楽しい土曜の午後が始まった瞬間、その瞬間に、子供の頃の私はカルトの世界へ戻らなければならなかった。
エホバの証人2世の子供のハードスケジュール
エホバの証人でない子供と遊んでいると、エホバの証人信者の親は良い顔をしなかった。さらに、外で思いっきり野球をしようにも時間が制限される日が多かった。
平日の集会のある日は、外に遊びに出ることは決して許されなかった。集会の無い日でも翌日の集会の予習が終わっていなければ、本当に自由な放課後にはならない。集会とはエホバの証人の集まりのこと。
日曜日の午前中の集会は、ものみの塔誌の討議と地獄の長さを誇る公開講演という2本立てのプログラム。午後からは親と一緒にエホバの証人の布教活動に出かけなければならない。
私が子供の頃はまだ土曜日の午前中には授業があった。そして午後からは布教活動の時間。これだけ1週間のスケジュールをエホバの証人活動で埋められると、思いっきり遊ぶことなど出来なかった。
エホバの証人でない友達と野球をしていても、時間が来たら決着がつく前に帰宅。そして、妙にかしこまった服装に着替えて、エホバの証人の布教活動に出かけなければならない。
この布教活動は、思春期になるとさらなるストレスとして、私にのしかかった。
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