エホバの証人の布教活動とは
私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者だった。エホバの証人というのは、自称キリスト教系の新興宗教。直球で要約すると、輸血拒否で信者が亡くなったり、教団内での児童性虐待が問題になるカルト。
2世信者とは、親の宗教を無理やりに踏襲させられる子どものこと。エホバの証人の場合は、子どもに就学前の幼児教育や大学教育を受けさせない場合が多く、私も幼稚園や保育園には行っていない。
幼児教育を受けなかった代わりに、両親によってエホバの証人の布教活動に連れ回されていた。布教活動中は、同年代の子どものように遊ぶこともできないし、夏でも冬でも関係なく、ひたすら家から家へと回る。私は、これが嫌で嫌で仕方が無かった。
エホバの証人の布教活動は、信者たちからは「伝道活動」「奉仕活動」「ボランティア」など呼ばれている。基本的には住宅街をしらみつぶしに一軒ずつ訪ねて回る昔ながらのセールス方式。
最近では、駅前などで立て看板と一緒に立つ街宣方式もよく見かける。この街宣方式も相当にヤバい。私の住んでいたような田舎で、この街頭布教をやると、学校の同級生にもれなく目撃される。尋常でない屈辱感。何の罰ゲームかと。
2022年現在、家から家へのセールス方式も街宣方式も、おそらくコロナ禍で両方ともストップ。電子媒体での勧誘に移行しつつある様子。電子手段にせよ人間方式にせよ、わが家にはこの不幸の伝道者がここ5~6年は来ていない。布教力は、私がこのカルト宗教を強制されていた頃に比べて低下しているのだろう。
見知らぬ家の呼び鈴を鳴らす恐怖
私の子どもの頃の記憶だが、小学生くらいになると、親と交代しながら実際に布教活動をさせられた。見知らぬ家の呼び鈴を鳴らして、「ボランティア活動で来ました」と、やらなければならない。
カルトの布教活動を指して「ボランティア活動」なんて言うのはウソで、正体隠し伝道も良いところなのだが。
自分の番が来て、見知らぬ他人の家のブザーを鳴らさなければならないときは、いつも留守であるようにと願っていた。この頃から30年以上たった今でも、見知らぬ家の呼び鈴を押させられる夢を見て、恐怖に目覚めることがある。
小学生の高学年くらいになると、学校の同級生の居住地区を布教活動で周るのがとても嫌だった。最悪、同級生の家の呼び鈴を鳴らさなければならない。
私が布教活動に出ているということは、学校が休みなので、同級生も在宅の可能性が高い。かしこまった服装で両親と一緒に歩き回っているだけでも相当に恥ずかしい。この姿を同級生に見られると、翌日の学校で何を言われるか解ったものではない。これは思春期の子どもにとって、ひどく苦痛なことだった。
私がエホバの証人をやめたのは14才のとき。中学校2年生の秋だった。この脱会時まで、両親による布教活動への連行は続く。中学生にもなって両親と一緒に住宅街を歩き回る。しかも妙にかしこまった格好をして。
しかも、同級生の家だろうが何だろうが、所かまわず呼び鈴を押して、「ボランティア活動で来ました」とやらなければならない。小学校・中学校の校区内だとさすがに嫌だと両親に訴えるのだが、そんな訴えが通ることは決してなかった。
カルトの布教を強制された屈辱、これを私は許すことができない。そして、同じ屈辱を味わう子どもを、現在以降の未来に発生させてはいけない。
“恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ。エホバの証人の子どもの最悪な屈辱” への3件の返信