西暦2002年、終わりの日

死を覚悟してサッカーボールを蹴り続ける

西暦2002年、日韓合同開催のサッカーワールドカップ。私はこれを生きて見られるとは思ってもみなかった。

私は生まれながらのエホバの証人二世信者。エホバの証人とは米国由来の終末思想を持つ新興宗教。子供をもれなく信者にして自由を奪うため、間違いなくカルト宗教だと私は思っている。

1990年代後半、14才のときに、私は親と決別しエホバの証人をやめた。この頃の私はサッカーに熱中しており、四六時中ボールを蹴っていたいと考えたため。

エホバの証人はスポーツに打ち込むことは禁止。勉強に打ち込むことも、正社員として必死に働くことも推奨されない。エホバの証人は、エホバの証人の布教活動以外に熱意を注ぐことが認められない。

エホバの証人が熱心に布教活動をするのは、終わりの日「ハルマゲドン」が近いから。ハルマゲドンとは神の怒りの裁きのことで、堕落した人類が神によって滅ぼされる。この裁きを生きてくぐれるのがエホバの証人だけという設定。

14才の私は、成人するまで生きられるとは思ってもみなかった。ハルマゲドンが来れば、神に従わない私は、当然、神により滅ぼされると信じていた。ハルマゲドンでの憤死を覚悟の上、刹那サッカーボールを追いかけられれば、それで良かった。

恐怖、見知らぬ家の呼び鈴を鳴らせ

ハルマゲドンに怯える元エホバの証人2世

死を覚悟して遊び尽くす

14才でエホバの証人をやめ、サッカーに堂々と打ち込んでいたのだが、しばらくすると私はサッカーにも飽きてしまった。自由な校風の高校に進学し、エホバの証人でない同級生たちと、自分のエホバの証人二世という過去を隠して遊び始めた。

この遊びも突き詰めると極限がない。明日にでもハルマゲドンで死ぬと思っているので、時間がもったいない。ありとあらゆる遊びをやらなければならない。こうして私は10代後半を駆け抜けた。

私は成人し、西暦2002年、日韓合同開催のサッカーワールドカップ。これが生きて見られるのは驚きだった。来るところまで来た。人生に悔いは無かった。サッカーのワールドカップも無事に終わり、私は違和感を覚える。

「ハルマゲドンっていつ来るんだ?」

もうとっくに死んでいるはずの自分は未だ生きている。適当に就職した会社での2年目も終わろうとしている。結婚とか資格、保険、貯金、資産運用とか、気にも留めなかった将来の話が同僚から出てくる。

将来へ向けて積み重ねることなど、明日にでも死ぬ人間には関係がない。そう思いつつも、私はあまりにも遅い「この世の終わりの日、ハルマゲドン」についてインターネットで調べてみることにした。

そして、私は衝撃の事実を知ることになる。


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