2002年、もっと生きたいと願う元エホバの証人2世

2002年、もっと生きたいと願う

生まれながらのエホバの証人状態から脱出、しかし洗脳は解けず。ものみの塔の予言するハルマゲドンまでの刹那を遊び尽くす。ここまでが前回の話

テレビで2002年のサッカーワールドカップを見ながら、「人生に悔い無し」と私は感じていた。やるべきこと(ひたすら遊ぶことだが)をやり尽くしたので、ハルマゲドンでの死は覚悟の上。

2002年の日韓ワールドカップには、私が好きだったキングKAZUこと三浦知良選手は出場できず、それでもカズは、この頃は現役選手を続けていた。

彼は1990年代の日本サッカーを引っ張り、初の日本のワールドカップ出場にも貢献。ところが、カズは日本が初出場したワールドカップ本大会の出場は叶わなかった。これが1998年フランス大会。

1994年には有名なドーハの悲劇で、あと一歩でワールドカップに届かず。最後に奪われたゴールへのラストパスにカズの足が届いていれば、本大会に出場できたという運命の皮肉。

そんなことを私は思いながら、いまだ現役でいるカズを思いながら、切なさがこみ上げる。こうしてビールを飲みながらワールドカップを見るのも、おそらくこれで最後。1998年のフランス大会は一人でシャンパン空けたものの、苦くて飲めきれなかった。当時は10代後半。今では20才を超え、ビールが心底旨く感じる年齢に。

もっと生きていたい、と私は思った。生きている者の生存本能。

以下、余談。この頃現役だったカズは、誰もが予想し得なかったことに、2022年の今でも現役。今でも日本代表に召集されワールドカップに出ることを諦めていないのかも知れない。不屈の精神。本当に偉大なのはキリストなんかじゃなく、キングKAZUだ。

元エホバの証人2世、洗脳解除の瞬間

さて、死を覚悟しながら、図らずも迎えた2002年の日韓合同開催のサッカーワールドカップ。これが無事に終了。私は、

「それにしても、ハルマゲドン遅くね?」と考えた。こうして、インターネットで

「エホバの証人 残りの者」と検索するに至る。この辺のエホバの証人の教理はややこしいのだが、地上の「残りの者」が全員死ねば、寸時にハルマゲドンが起こるというのがものみの塔設定。

こうして、禁断の忌むべきワード「エホバ」をインターネットの検索窓に打ち込む。そして、私は衝撃の事実を知る。

「あれ?エホバの証人って思いっきりカルトじゃん」

明日の話に続きます。

忠実で思慮深くないエホバの証人の14万4千人の生き”残りの者”

エホバの証人の主の記念式と14万4000人の残りの者


One Reply to “2002年、もっと生きたいと願う元エホバの証人2世”

Leave a Reply

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.