エホバの証人がカルト宗教である理由
私は、ほぼ生まれながらにしてのエホバの証人2世だった。
エホバの証人というのは、ものみの塔とという名前でも知られる自称キリスト教系の新興宗教。輸血や兵役を拒否する特殊信条や、児童性虐待などが問題になっており、一部の国ではカルト指定されている。
2世とは2世信者のことで、親の1世信者にこのカルト宗教を強制された子どものことを指す。
前述の特殊信条以外にも、エホバの証人には制限が多く、他の宗教臭のする行事の類いは一切禁止。これは子どもには辛い。クリスマスからお正月まで何もかも禁止。
親によっては、クラブ活動などの自由もないので、学校では浮きまくりの変人扱い。
また、近年では時代に流されて変わりつつあるのだが、私の子どもの頃は、体罰で厳しい戒律を押し付ける教育方針がとられていた。
大学などの高等教育もエホバの証人には不要とされていた。
問題ありまくりのエホバの証人なのだが、私がこの宗教をカルトだと決めつけている理由は、
自由がないこと。エホバの証人の子どもには自由がない。人権を侵害されている。エホバの証人の子どもは「自由に行動を選べない」。だから、エホバの証人はカルト。
この行動には、「学校の行事に参加する」から、「教育を受ける、信仰を選ぶ」といった様々な行動が含まれる。
1世信者は、自らこのカルトに逃げ込んだのだが、2世信者の子どもは圧倒的不運な星の下に生まれただけ。生まれや美醜、運も才能のうちだと言えば、それまでだが、この不運を挽回するべく、私はものみの塔というカルトと闘う決意をした。
1世信者も、思考・情報をものみの塔に制限されマインドコントロールを受けている。ものみの塔体質に陥れられることで、自身の自由意志を失う。マインドコントロールにより行動を制限されるという意味では、1世信者もカルト被害者。
以上をまとめると、
エホバの証人には自由がない。大人の信者はマインドコントロールにより自由意志を失う。子どもは、親によって自由を制限される。
ゆえに、エホバの証人はカルト。
カルトに信教の自由はあるのか?
信教の自由、これは、当然その団体が反社会的団体でなければということ。
輸血拒否なんてのは命軽視、医療資源の無駄遣い、反社会的行動そのものだろうと思いきや、最高裁の判例でエホバの証人のおバカ主張が認められちゃってる。
となると、これは法の下でなく、「この世」に生存して欲しいかどうかという、対人間同士の問題にするしかない。オレは輸血拒否して「復活が~」とかとち狂ってる人がいたら、本人の意志を裏切ってでも、今、「この世」で生きて欲しいと願う。
というか、「復活が~」なんて言っている人間はマインドコントロール直下。自己判断能力ゼロ。周囲が命を救ってやらないとならない。
さて、「信教の自由」。個人の輸血拒否は認められるのだが、「人間の自由」そのものを制限するのは許されない。少なくともエホバの証人2世の子どもは、確実に自由を制限されている。
よって、
ヒトの自由を侵害するエホバの証人に「信教の自由」はない。
憲法20条に「信教の自由」が謳われているのだが、第2項に
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない
とある。あらら?
オレ、子どもの頃、エホバの証人の集会、大会、布教活動、ありとあらゆるモノへの参加を強制されましたが!?これが既に「信教の自由」を侵害している。
“ヒトの自由を侵害するエホバの証人に「信教の自由」はない” への1件の返信