エホバの証人に関する究極の疑問
ふとしたことをきっかけに下記の疑問を抱いた。サクッと答えられそうな・・・長くなりそうな・・・。少し考えてみる。
- エホバの証人と普通のキリスト教は何が違うのか?
- 私はなぜエホバの証人をやめたのか?
- そして、なぜ全ての人がエホバの証人をやめるべきなのか?
1.普通のキリスト教とエホバの証人の違いとは何か?
聖書はほぼ共通だけど、エホバの証人の新世界訳聖書はものみの塔仕様に都合よく改ざんされている。三位一体を否定できるように、キリストの神性を否定できるように。キリスト=ミカエルとできるように。
他はエホバの証人の輸血拒否の教義だったり、十字架の不使用。洗礼の形式、クリスマスを行わないことなど。この辺がエホバの証人特殊教義。とはいえ、三位一体や十字架などはささいな問題。本質とはズレる。
そもそも私は普通のキリスト教徒であったことはないし、これから先も健全な一般的なキリスト教徒になるつもりもないので正確な違いなど答えようがない。エホバの証人と普通のキリスト教の違いとは?これは私が回答すべき質問ではないのか。
2.私はなぜエホバの証人をやめたのか?
私はなぜエホバの証人をやめたのか?なぜだっけ?30年近く前のことだが当時の気持ちはありありと思い出せる。とはいえ一言で答えるとなると窮する。
「ものみの塔が偽物だから」パッと出てきたのはこれ。1.普通のキリスト教とエホバの証人の違いとは何か?の答えにもなる。しかし、よく考えてみると私はものみの塔が偽物だからエホバの証人をやめた訳ではない。
エホバの証人を辞めた時は洗脳直下だったので、神エホバは存在し間もなくハルマゲドンが来ると思っていた。ものみの塔がニセモノだとはまだ見破っていなかった。それでもエホバの証人をやめた。
となると、辞めた理由は何だ?
自分の生き方を優先させたいから。ダサいエホバの証人として生きていくのが嫌だった。自由に何でもやってみたかった。この辺りになるのだが、回答としてはまとまりがないか・・・。
一言で答えるなら?・・・エホバの証人がカルトだから。エホバの証人は人生を決定的に損なわせるものだから。
カルトの定義
日本脱カルト協会のカルト問題Q&Aにカルトとは何か分かりやすく定義されている。カルトとは
カルトは人権侵害の組織です。組織に依存させて活動させるために、個人の自由を極端に制限します
私はこの個人の自由を制限されることに我慢ならなかった。これ以上人生を奪われることのないようにエホバの証人をやめた。人生を制限され、それでもヘラヘラしていられるエホバの証人を”ダサい”と感じていた。
日本脱カルト協会のQ&Aでは、カルトは
人権侵害の正体を隠すためにマインド・コントロールを用いることが多い
と続く。ごもっとも。エホバの証人はものみの塔協会にマインド・コントロールされている。
結論として、下記の質問に関する回答はすべて共通。
- エホバの証人と普通のキリスト教は何が違うのか?
- 私はなぜエホバの証人をやめたのか?
- そして、なぜ全ての人がエホバの証人をやめるべきなのか?
「エホバの証人はカルトだから」。これが簡潔かつ完全な回答。これ以上、人権の侵害を許してはならない。
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