エホバの証人両親が急に放任主義になった理由
私は中学2年生の秋にエホバの証人をやめた。そして高校へ進学し、気ままな生活を送る。高校2年の頃から、喫煙、飲酒を始め、家にも帰らないような生活を始めた。
その頃は、両親もまだエホバの証人だったが、特に厳しく言われるようなことはなくなっていた。
両親にしてみれば、私がエホバの証人をやめてしまえば、それ以降どこまで道を踏み外しても同じことだった。どうせハルマゲドンというこの世の終わりで死に別れるのなら、息子の生活態度がどうであろうと関係ない。
一種の放任主義だった。
エホバの証人の脳裏には、ハルマゲドンが常に焼き付いている。神が下す裁きの火によるこの世の終わりがハルマゲドン。この最終戦争を生き残れるのは、エホバの証人だけということになっている。
エホバの証人信者たちは、ハルマゲドンへの恐怖により精力的にエホバの証人活動を行っている。
エホバ基準で不適切であれば、ハルマゲドンで滅ぼされることになる。両親にしてみれば、私がこの世の終わりの日に死ぬのなら、現在の世界で喫煙していようが、警察に捕まろうが同じことだった。
私の両親は、親として不適切だったと言わざるを得ない。その理由はエホバの証人だったから。ハルマゲドンという妄想に囚われ、子どもの教育を放棄。
元エホバの証人2世に残された時間
私は、エホバの証人をやめたものの、いまだものみの塔の洗脳下にあった。私にとってもハルマゲドンは恐ろしく、今この瞬間にでも自分の体が天から降る業火で焼かれるのではないか、という恐怖に囚われていた。
私に残された時間は少ない。その間にやれることはやり尽くしたい、という気持で私は高校生活を過ごしていた。
喫煙、飲酒、ギャンブル、子どもの頃から禁止されていたテレビゲーム、暴力的なテレビ番組、性描写のあるテレビドラマ、映画、まだ女性を知らなかったし、車にも乗りたい。
エホバの証人として禁止されていたことや、それ以外のこと、何もかもやらなければならない。そういう強迫観念に囚われていた。
高校2年生の頃には女の子とつき合い始め、自動車免許取得と同時に親の車を入手。
あらゆることに忙しく過ごしている間に、私の高校生活は過ぎ去っていった。高校入学時に上位だった成績は、徐々に順調に低下し、勉強にはほとんどついていけなくなり、高校生活は終了。
私が通っていた学校は、高校とその上の過程がセットになっていた学校だったので、私もそのまま繰り上がり短大過程へ進む。
高校過程の卒業と同時に、順調に童貞も卒業。いつハルマゲドンが来ても良い心残りのない日常を送っていた。
しかし、ハルマゲドンはなかなか来なかった。そうこうしている間に21世紀が近づいてきた。世間は世紀末とミレニアムで浮かれている頃。
2000年問題がどうのこうのと言われていたが、その2000年が来る前にハルマゲドンが起こるものだと私は考えていた。少々面食らいつつも、来たる新世紀を浮かれた気持ちで待っていた。
“20世紀末、ハルマゲドンに怯える元エホバの証人2世” への3件の返信