偶然、スレスレで生き延びた元エホバの証人2世の子供

エホバの証人の子供のストレス解消法

昨日の記事で、子供の頃に眼瞼痙攣の症状があったと書いた。初期症状だけで回復したのは私自身のストレスに対する耐性が高いからかと思われる。子供の頃も今も、ストレスの解放が得意な体質というか性格。

エホバの証人というカルトを強要される子供として、私の子供時代は過酷な環境にあった。エホバの証人の2世信者が激しいストレスをかわし、息抜きをする方法とは。

小学校の低学年の頃から、親の財布からお金を抜いて、遊びに行ってガチャガチャを回す。これが度々あった。時には3000円とか抜いて豪遊。これでストレスが解放された。

見つかって懲らしめというエホバの証人の体罰を受ける。これは痛いしパンツを脱ぐので屈辱的だけど、罪悪感を抱えたまま見つからないでいるよりはマシ。子供の頃の店舗からの万引きは一度も露見していない分、今でも罪悪感が残っていてスッキリしない。

エホバの証人の集会や布教活動の前に遊びに行って、15分全力でバットを振る。暗くなる直前にひたすら集中して遊ぶ。子供ながらのストレス解消法。

元エホバの証人2世の真夏の記憶

エホバの証人2世の子供のハードスケジュール

エホバの証人2世のサバイバル

私は、無意識化でストレス解消を行ない、なんとかエホバの証人の子供という環境をサバイバルした。しかし、ギリギリの状況にいたのは確実。夏休みには何回か大病を患った。ひたすら布教活動に連れ回されるのが嫌だったのか、過酷なカルト環境で免疫力が低下していて酷暑に耐えられなかったか。

自死を考え、未遂に至ったことも何度かある。後方から猛スピードで迫るトラックに何度か自転車のハンドルを切ろうとした。トラックはもともと身体スレスレを走っていくので、死まで本当にわずかあと数センチ。

エホバの証人の洗脳が解けたあと、会社をやめフラフラした時期を10年ほど過ごす。今となって考えると、これも自らの潜在意識からくるガス抜き戦略。

今の恵まれた環境にあるのは、ギリギリ、スレスレを偶然くぐり抜けてきたから。

最後の最後で救われた理由。それは方向性が大きく間違っていたとはいえ、率直ではあったと思われる親の愛情か、それとも自身の生まれ持った性格によるものか・・・

とはいえ、エホバの毒を抜くのに自主的にフラフラした期間は25歳からの10年間、代償は大きい。両親も私に対する愛情はあったとはいえ、行為は誤っていたのは確実。わだかまりは残る


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