元エホバの証人2世の幼児、真夏の記憶
私の子どもの頃の話。無性に遊びたくなることが何度かあった。エホバの証人の2世信者として、常に抑圧された厳しい環境にあったせい。印象的に覚えているのは2回。
1度目は小学校に入る前。暑い夏の日。自転車に乗れる年齢だったので、1人で家からちょっと離れた場所にある児童館に向かう。ちょうど昼食時で児童館には誰もいなかった。
私はたった1人、この児童館の体育館にあるトランポリンで延々とジャンプし続けた。
母親の隙をついて自転車で家を飛び出してきた。午前中のエホバの証人の布教活動で歩き回った後。家に帰れば、すぐに午後からの布教活動に連れて行かれる。
エホバの証人の布教活動は見知らぬ家から家へ、呼び鈴を回して、ひたすら周り続ける。伝道とか奉仕と呼ばれている。「ボランティア活動で来ました。家族や仕事のことで悩みがありませんか?」とカルトのカモを探して周る不毛な勧誘活動。
午後からの苦行を考えると、何となく落ち着かない気持ち。心から楽しめない。それでも、私はたった1人、無心にトランポリンで跳ね続けた。真夏の昼間、誰もいない暑い体育館の中で。
元エホバの証人2世の小学生、真夏の記憶
2度目も同じく真夏の昼間のこと。これは小学1年生の夏休み。私は小学校に入学する直前に腕を骨折していた。ギプスが取れたのが、小学校に入って初めての夏休み。
ずっと体を動かすことが出来ず、ストレスがたまっていた。またも家を自転車で抜け出して近所の公園へ行く。
この時も、ちょうど昼食時だったため公園には誰もいなかった。私はたった1人、暑い夏の日差しの中で猛烈にブランコをこぎ続けた。腕の包帯がまだ痛々しかったのをよく覚えている。
夏休みだったので、午前中は母親にエホバの証人の布教活動へ連行された。午後も、母親と一緒にエホバの証人の布教活動に出かけねばならない。
夕日が傾くまで、いつまでもいつまでも遊んでいることはできない。ある程度ブランコをこいだら、いいかげん家に帰らなければならない。
ただ、この時の私は何もかもを忘れ、無心で汗を流しブランコをこぎ続けた。またしても誰もいない真夏の昼間。たった一人の公園で。
無意味にも思える子供の遊びだが、これは私にとって重要な時間だった。トランポリンで体が高く舞い上がる一瞬。ブランコが勢いよく放物線を描くその瞬間。この時だけは、ものみの塔の教理と親の束縛から、ほんの一瞬だけ自由になれた。
幼い子どもながらの息抜き。命の休息。たった一人、無心で遊ぶ秘密の時間。私の幼い頃の象徴的な記憶。
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