元エホバの証人2世の洗脳状態、30年目の解放と回復

エホバの証人らしい非正規雇用での就労を余儀なくされる

パチンコで喰っていくんだと、私は20代半ばで会社を辞めた。これには、エホバの証人らしくない生き方をしなければならない、という強迫観念が強く影響していた。私が生まれつきのエホバの証人2世だった反動。

私は、エホバの証人をやめたからには反エホバ的生き方が必須だ、と思い込んでいた。エホバの証人らしい=真面目、真面目=会社員、パチプロのプータローなら、最もエホバの証人らしくないという短絡的発想。

結局、このパチプロ生活は長く続かず、破綻する。喰うに困る前に、私は非正規雇用で働き始める。これだと、まさにエホバの証人っぽくなってしまう。エホバの証人はだいたい非正規雇用で働き、残りの時間を宗教活動に充てる。

とはいえ、喰っていくためには仕方がなかった。今さら正規雇用の働き口が簡単に見つかるはずがない。私は、就職氷河期の真っただ中に短大卒ながら、割と安定した会社に就職していた。

しかし、反ものみの塔的生き方を実践するために、安定や普通、真面目というイメージのある会社員を辞める決断をした。

私は、組織に対する盲目の忠実さ、盲信から来る組織崇拝こそがエホバの証人の根幹だと、無意識に感じていた。これが自分の中にあることを否定するために、組織、会社を辞め、一匹狼としてパチプロになるという選択をした。

これが完全に裏目に出て、傍目にはいかにもエホバの証人っぽい非正規雇用という立場に転落。フルタイムの正社員として働き、社会的地位を確立するだけで十二分にエホバの証人らしくなかったのだが、当時の私はそれに気付かなかった。

何とも皮肉な話だが、ハルマゲドンを信じ込んでいたので仕方がない。ハルマゲドンですべて滅ぼされるので、会社員として地道に働き続けることなどできないと思い込んでいた。

30年目のエホバからの解放

しかし、私はこの失敗を後悔していない。逆に、あの時にパチプロになっていなかったら、これこそ後悔が残っていた。

やってみなければ分からない。失敗してもいい。これがエホバの証人にはない考え方。

堅苦しい教義に縛られ、あれもダメ、これもダメ、これもやってはいけない。というのがエホバの証人。

何でもやってみて、試してみて、失敗してもその教訓を次に活かす。私のバカみたいなパチプロ挑戦は、授業料は高くついたのだが、これはこれで良かった。

結果的に、私はようやくエホバの証人っぽくない生き方を始められたのだった。これ以降、私は自身の願いを試行錯誤しながら叶えていくことを始める。当然、叶わないこともあるのだが、諦めない限りは願望実現の途上にある。

生まれながらのエホバの証人として、過酷な幼少期を過ごし、深いものみの塔の洗脳に侵され、30年目のことだった。

組織崇拝、ものみの塔崇拝もエホバの証人の罪であり、根幹なのだが、その原因はマインドコントロールにある。マインドコントロールは、信者たちの思考停止状態から始まる。私の問題もここにあった。

私の問題だったエホバの証人的思考状態。かくあらねばならない。モノゴトは筋書き通りに進めなければならない。適当、思いつきではいけない。こういった思考状態からの解放。

誰かに言われたことや定石ではなく、自分で考えて考え抜いて、動き出す。そして、失敗しても諦めずに試行錯誤を繰り返す。私はこのようにして新たな道を歩み始めたのだった。

ものみの塔協会のマインドコントロール手法

エホバという傷を癒すためにものみの塔思考をやめる


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