元エホバの証人、時の経過が「エホバ」という傷を癒す

平成の終わりを生きる、元エホバの証人2世

私は生まれながらのエホバの証人だった。両親がものみの塔によって念入りにマインドコントロールされた、いわゆる2世信者。

14才の秋に、私は自分の意志でエホバの証人をやめる。しかし、ものみの塔の洗脳が解けたのは20才をすぎてから。それまでは、ハルマゲドンというものみの塔の終末予言を怖れる日々をすごした。

洗脳から解放された後は、反ものみの塔的な生き方をしなければならないという強迫観念に囚われる。これは、逆説的にものみの塔に支配されているようなモノだった。

非エホバ的生き方の象徴として、私はあえて正社員雇用されていた会社を退職、パチプロの道へ転向。そして挫折、非正規雇用の立場へ転落。

そして、そのまま非正規雇用を10年近く続ける。

非正規で働くなんてエホバの証人らしさ、そのモノなのだが、この頃は長引く平成不況の出口頃で、非正規雇用労働者が増加中。3人に1人が非正規という時代だった。

非正規雇用で働くということは、もはや特にエホバの証人に限った話ではなく、変に高い私のプライドが損なわれることも、さほど無かった。

そして、ただ時がすぎていく。貧乏暇なしとはよく言ったもので、日々を忙しくすごしている間に、私は30才を超える。

周囲からエホバの証人が消えることで、健全な思考状態へ

私の30代前半の頃の話。当時の私は、自分がかつてエホバの証人2世だったという過去を隠していた。ひた隠しにするというよりは、積極的に話して周る趣旨のモノではないので、ただ黙っていただけ。

元エホバの証人という過去は隠したいし、人生の汚点であることは間違いなかった。ものみの塔は憎いし、根絶されるべきモノだと考えていた。しかし、この頃には、どうでも良くなっていた。

ものみの塔のせいで家族は崩壊したのだが、その過程で両親ともに無事にエホバの証人をやめた。これで、

「エホバ、エホバ」とバカの一つ覚えのようにつぶやく奴らが周囲から消滅。これも、ものみの塔のことを考えなくて済むようになった原因の一つ。エホバの証人のことを考えて、イライラするタイミングが無くなった。

学生時代の友人や職場の同僚と酒を飲んだり、休みには一人で旅行に行ったり、そういったことを優先していた。

元エホバの証人家族の回復

家族を置いて出奔した父と再会したのもこの頃。父は、かつてエホバの証人の会衆の長老という立場にあった。

長老とは、教団の中間管理職的立場で、100人程度の信者を束ねる立場。新たに信者を増やし、カルト被害を増大させた、長老としての父の罪は大きい。

また、親子三人家族の父という家族の中心的立場にありながら、エホバの証人という間違った方向へ一家で邁進してしまったこと。こんなことに罪悪感を抱きながら、父は日々を送っていた。

父は、それでもまた新しい家族を築き、人生をやり直している最中だった。

私の父にとっては、時の経過が贖罪となっていた。時効とは、法的に適用されるだけでなく、精神にも適用されるモノなのかも知れない。

一方、母はエホバの証人をやめることで、一人息子の私にすり寄ってきた。何かに依存するのなら、カルトよりは息子の方が何千倍もマシ。

私が結婚するまで、母とは同居を続けた。

私が、エホバの証人をやめて20年、洗脳が解けて10年と少し。この頃には、長い時の経過が、私と私の家族の抱える「エホバ」という傷を癒しつつあった。

エホバの証人夫婦に明日はない

ものみの塔協会に多大な犠牲を支払い続けている私の両親


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