エホバの証人の話のすり替え
私が子供の頃に好きだったプロ野球選手が清原和博だった。1980年代のこと。ちなみに中学生の頃はチャゲ&飛鳥が好きだった。これが1990年代。
初めて買ったCDは槇原敬之の『冬が始まるよ』。このシングルCDをヘビーローテーションで聴いていた結果、エホバの証人の長老だった父親にCDケースごとへし折られてしまった。
エホバの証人にとって、「ふさわしくない」音源を繰り返し何度も聴くことは許さないということ。父親にしてみれば、エホバの証人の活動をおろそかにする原因となるものを取り除いたつもり。
不条理極まりない出来事だった。おこずかいをきっちり貯めて、初めて購入したCDがたった数日で割られて捨てられてしまった。
怒りに任せて、子供が現状では一番大切にしているものを力任せにへし折ってゴミ箱に捨てる、これがクリスチャンの長老の行いと言えるだろうか。
こう言うと、エホバの証人はキリストが神殿で商いをしていた者に対して激昂した話を持ち出す。
子供に対する接し方の話なのに、神を敬う行為のためならば怒りを前面に出すことも問題ないという話にすり替えられてしまう。これがエホバの証人の論理トリック。何でも自分たちに都合の良いように話を解釈する。
ものみの塔協会は話のすり替えや意図的な局部的引用を繰り返し行う欺瞞的体質。この確信犯的悪癖が、エホバの証人の末端信者にまで影響している。
エホバの証人2世の感覚
余談になるが、私が子供の頃に好きだった有名人には共通点がある。野球の清原、歌手の槇原敬之と飛鳥涼、彼らは後年、覚醒剤絡みで起訴されたり逮捕されたりという運命を辿る。
これは私が生まれながらのエホバの証人2世であったことと何らかの関係があるのだろうか。ただの偶然にしてはあまりにも重なり過ぎている。
ものみの塔の厳格な教義によって抑圧を受けていた子供の私。その私がものみの塔からの解放を望み、気に入った著名人たち。
その有名人たちは後年、ドラッグという日本国内では道を踏み外す行為へと走ってしまった。エホバの証人2世だった私の趣味嗜好について何らかの示唆があるように思えてならない。
何らかの衝動を抱えている者たちの間で相互に響くものがあったのだろうか。どちらにせよ、それが素敵な衝動でないことだけは確か。逮捕されたり起訴されたり、一家離散したりということは無いに越したことはないから。