20年後、30年後の自分を考えると、現役エホバの証人は脱会一択

40代のエホバの証人、果たして社会復帰できるのか?

生まれつきのエホバの証人2世や3世だったという人。子どもの頃から宗教漬け。そして、今でも現役エホバの証人で、現在40代付近というのが、私の同世代。

私は、そういうお先真っ暗な人たちに、エホバの証人をやめろと言っている。

私の場合は、14才でエホバの証人をやめて自由になった。洗脳がとけたのは20才を過ぎてからで、いろいろと後遺症もあった。しかし、とりあえず14才以降は、生活の全般においてエホバの証人に縛られることは無かった。

この30年間の差、とりあえずエホバの証人から自由だった者と、そうでない者。20代、30代をエホバの証人として過ごした者とそうでない者の差。

30年という時の重み。

今まで、その重みをあまり実感せずに、「エホバの証人をやめろ」「エホバの証人はやめられる」と言ってきた。

子どもの頃からエホバの証人社会しか知らず、20代~30代もエホバの証人として過ごして、40才付近になった。それで、果たして、社会復帰できるのか?

とりあえず、怖いだろうとは思う。無知は恐怖だ。

ならば、知ればいい。

いきなりでなくても良い。エホバの証人をやめることを想定して、世俗のポジションを固めていく。経済的・精神的拠り所を、エホバの証人以外の世界につくる。

人生において不可能なことなんて無い。40代で引きこもりなんて人に比べれば、まだ生まれつきのエホバの証人で40代という人の方が社会復帰しやすいだろう。

この世を彷徨うエホバの証人たち、人生は今からでもやり直せる

20年後、30年後の自分を考える

私から言えることは、14才のあの時に、多少辛い思いをしてでも、エホバの証人をやめて良かった。エホバの証人をやめない人生を送っていたとしたら?それこそ、恐怖。身震いする。圧倒的な時間の無駄遣いに恐怖する。

その無駄遣いを既にしてしまった人。取り返しのつかない時間を既に失ってしまった人。失くした時間は取り返せない。それより、これから先の人生で失う時間の大きさを考えよう。

私の親は40才を過ぎてから、エホバの証人を脱会。人生をリセットしている。一家離散したので、強制リセットに近かった。

エホバの証人をやめて、一般人として20年間を生きてきた両親。エホバの証人をやめて良かったか?と聞けば、間違いなく「やめて良かった」と答える。もしもいまだにエホバの証人だったと考えたら?ゾッとするだろう。

父に至っては、エホバの証人をやめたばかりに何度か死にかけたけれども、それでも「エホバの証人をやめて良かった」と考えている。

そもそもエホバの証人を続けていても、死んでいるも同然。自分の意思を自分の人生に反映できないのだから。死にかけてでも、やめる価値がある。

ここまでは、現在40代という人の話。充分に人生を取り戻せる。というか、取り戻さないと、30年後に大きな後悔が残る。30年後に大きな落差が生じる。

しかし、もしも今、60才だったら?

現在、60才の現役エホバの証人だったとしても、まだ意外と人生は長い。80才になって、人生を振り返ったとしたら、「60才のときにエホバの証人をやめて良かった」と、必ず思う。

もしも、今80才で現役エホバの証人だったとしたら?今どきの人生はわりと長い。まだ意外と長生きするかも知れない。

エホバの証人をやめるのに遅すぎることなどない。

というか、明日死ぬとしても、すべてのエホバの証人はエホバの証人をやめるべき。エホバの証人は真理を求めているんでしょ。だったら、エホバの証人という宗教は、真理の正反対にあるものなんだから、そんな不真実を追い求めた人生で良いのかい?


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