子どもに宗教を押し付ける2世問題の構図
『みんなの宗教2世問題』1章「当事者たちのさまざまな声」。創価学会2世の体験談。
この人は、学会活動を
親が喜ぶからやっていた
子どもは、親を喜ばすために生きているわけじゃない。しかし、子どもは親を喜ばせたいと思う。それが、バカ親が子どもに宗教を押し付ける要因になってしまう。
子どもは自ら望んで宗教をやっているのではなく、親が喜ぶから仕方なく宗教をやっている。もしくは、親に怒られるから、嫌々宗教をやっている。宗教をやらないと生存できないから、耐え忍んで宗教をやっている。
初めて自分自身について悩んで、自分がまわりに合わせてばっかりで、からっぽかもしれないって思った
仕方なく宗教をやっている間に、本来の自分すら見失う。この人のように空っぽになる。
空っぽなら、まだマシな方で、自分が望んで宗教をやっていたと思い込み始める。そうなると厄介で、脱会が困難になる。大人になると、2世被害者のまま加害者側に回っていくことになる。
学会員の子どもたちを書道教室に通わせて、
新聞や選挙を頼んだりする
いま思うと子どもを使って、会員でない人を囲い込んでいた
子どもを道具にしている。
エホバの証人も勧誘に子どもを使う。子どもを体罰で縛っておいて、子どもがこんなにお利口になります。子どもの教育で悩んでいませんか?とやるわけだ。
さらに創価学会の場合は、選挙で勝つことが宗教活動の一環になっているという意味不明。エホバの証人の場合は逆に振れていて、選挙・投票の一切をしない。どっちもどっちだが。
カルト宗教の共通点
学会の人はみな良いことだと思って一方的なことをする
エホバの証人も同じ。良いたよりを、真理を伝えているという思い込み。実際は、家族を破滅させる不幸の伝道者なのだが。あと、私のような元信者からすると、エホバの「エ」を聞くだけでも不愉快。
学会の人とは、活動から離れはじめたときも、何をしゃべっても結局教義で返ってくるから、対話にならなかった
自分の頭で考えてる言葉じゃなくて、みんな同じようなことを言う
エホバの証人との共通点。思考を止めて、言葉を奪う。
家族を大事にするために組織があるんだったらいいけど、逆に組織を大事にするために家族が犠牲になっている
どこも一緒。エホバの証人も同じく、家族が幸福になると言って信者を勧誘し、その実、脱会者に対しては家族であっても忌避する。
子どもの人権を奪い、情弱者から金や時間をむしり取る。正負どちらの方向にも政治に容喙する。ロクなものじゃない。
カルトの内と外
この体験者の祖母、実の娘が献金三昧、宗教で孫娘が苦労したことを聞いても
私はそんなのどうとも思わない、創価学会は悪い団体ではない
と言われる。
家族でもこれだから、無関係な人からするとどうなるのだろうか?興味もなく、知りもしないのなら、良いとも悪いとも判断できない。「信教の自由ガー」となっちゃう。もしくは、体面重視の信者の良い部分だけを見せられて、肯定派に回っちゃう。
我々のような、内実を知っていて、なおかつ元気のある者が、きっちり、カルトのネガティブ情報を発信していかなければ。
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