全身に染みついたエホバの証人らしさをぬぐう
私は、ものごころがついたときからエホバの証人2世だった。そんな私がエホバの証人を脱会したのは14才の秋。エホバの証人の毒親だった両親に、遂に脱会宣言をした翌日は、何とも清々しい朝だった。
この日の話は、「エホバの証人やめます」、脱会宣言翌日の爽快な青空
この日の万能感、全能感がそのまま継続すれば良かったのだが、そうも上手くはいかなかった。エホバの証人は、全身にエホバの証人らしさが染みついている。私のように、生まれながらのエホバの証人2世は特にその傾向が強い。
そこで、エホバの証人をやめた後で気をつけたら良かったこと3点をまとめた。
- 自由になって何をしたらいいのかを見極める
- 自分の意思で継続することに注力する
- 過剰な自意識から自由になることを意識する
これは私のように脱会時に心身が健康な人向けの話。心身ボロボロな人は回復に努めるのが先。時間の経過を待ったり、専門家にかかったり。焦ると逆効果なので、ひとまずエホバの証人をやめた自分を、褒めていたわろう。
順番に説明すると
1.自由になって何をしたらいいのかを見極める
エホバの証人には禁止事項が多い。子どもの場合、親に縛り付けられるのでなおさら。生まれてから一度もテレビゲームをしたことがない、一度もデートしたことがない、などという人も多くいる。
エホバの証人の反動で何もかもやりたくなる。もしくは、本当に何をしていいのか分からなくて途方に暮れる。どちらか。
反動で禁止されていたことを自由にやるのは良いのだが、実はそれでは何も成り立たない。私のように、あらゆる禁止事項をひとつずつ潰していこうとすると時間もないし、体もやられてしまう。
タバコ、酒、異性交際、ギャンブル、法律違反、あらゆる宗教行事・・・結局、経済的・健康的事情でタバコや酒などはやめたり、減らさざるを得なくなった。ギャンブルや、いちいち法律スレスレをいくのも時間の無駄なのでやめてしまった。
反対に、何をして良いのか分からず焦るという人もいる。それでエホバの証人の友人に電話をしてしまうとか、エホバの証人の友人とつるんでしまうとか、これだけは絶対NG。エホバの証人にすがるという逆戻りはやめよう。
何をして良いか分からないパターンの人も、やり過ぎてしまう人も対処法は同じ。
一番大事なことに絞るべき。何か大事なことがあって、やりたいことがあってエホバの証人をやめたはず。それに集中しよう。
そんなものが何もなく、ただ自由になりたくてエホバの証人をやめたという人は、その自由が目的。自由を満喫しながら、人生の目的を探そう。ハルマゲドンで人生が終わるということはないから、老後は長い。
人生に目的がないと、つまらない一生を送ることになる。そんなことで迷って、違うカルトのお世話になるということの無いように。金持ちになりたいとか、都心の一等地に住みたいとか、まずはそんなモノでも良い。人様のお役に立ちたいという立派なモノなら、なお良し。
2.自分の意思で継続することに注力する
私は飽きっぽく、何をしてもすぐに諦めがちだった。人生で唯一継続してきたものは14年間のエホバの証人活動。それもキッパリやめてしまった。
エホバの証人は小さな頃にスポーツクラブなどへ参加することが許されず、継続して努力する我慢強さが養われにくい。反面、強制されたものを粛々とやり続けることは得意。
理由は、ものみの塔から圧倒的に摂生した生き方を強制されたため。強制されたことに従い続けるのには慣れている。このため、仕事などは黙々とこなすことができる。
しかし、自分が見つけたことを、積極的に能動的にやり続けるという能力は欠如している。
私もそうだった。何かに熱中していると、すぐに両親の邪魔が入る。サッカーに熱中していても、「サッカーなんてやっても意味がない。プロにでもなるつもりか(笑い)」。何かモノを書く人になりたいと言っても、「そんな奴はごまんといるから無理」。
親に否定されると、本人も心のどこかで無理だと思ってしまう。深層心理で自分が疑っていることを継続して続けられるはずがない。元エホバの証人は、下記2つを特に意識しておくべき。
- 自分で選んだことの継続が苦手
- 自分の選択に自信を持てない
何かをやめそうになってしまったら、諦めそうになってしまったら、この2つがエホバの証人だったからであることを思い出し、ぜひやめずに続けて欲しい。または、やめてしまっても再開するエネルギーにして欲しい。
できるよ。できる。人間は、なんでもできる。ましてや、エホバの証人脱会という思い切った決断を実行できたんだから、そんな人たちは、やろうと思えば何でもできる。
3.過剰な自意識から自由になることを意識する
特殊な環境下で生活してきたため、エホバの証人は自意識が過剰。他人の視線が常に気になる。そりゃそうだ。学校の給食の時に毎回注目されてきた。その注目下で、目を閉じて神に祈りを捧げるなんてことを、6才から思春期まで続ければ、他人の視線が怖くなる。
この自意識から自由になるのはなかなか難しい。私はエホバの証人をやめて20年以上経つが、いまだにこの自意識に縛られている。何かをやろうと思っても、他人からどう思われるのか気になる。
かつてのエホバの証人のときのような、恥ずかしい思いをしたくない。そう思ってしまう。こうなるとなかなか冒険的な一歩を踏み出せないし、手を上げるべきときに上げることができない。
しかし、逆に考えるとエホバの証人時代にあんなにも恥をかいた。今さらどんな恥ずかしいことがある?しかも、今回以降は、自分で選び取って自分で決めたことで恥をかくだけ。誰に強制されたことでもない。
他者の視線が気になって、何かを躊躇することがあったら、それはエホバの証人としての傷がうずいているサイン。その傷はなかなか癒えないが、その傷から自由になる必要はある。
躊躇している自分に気付いたら、意識的にそれを振り払って行動しよう。そうしないといつまでも、忌まわしい「ものみの塔」から自由になれない。
他人は自分が思うほど、自分に注目していない。
まとめると
エホバの証人をやめたあとの注意点3つ
- 自由になって何をしたらいいのかを見極める
⇒人生の目的を意識する - 自分の意思で継続することに注力する
⇒自信がなくなって、何かをやめてしまうのはエホバ証人体験のせい - 過剰な自意識から自由になることを意識する
⇒その自意識が「ものみの塔」の影響
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