私はほとんど生まれながらにしてエホバの証人で、両親は完全なるものみの塔教会の洗脳下にあった。私は14歳のときに自分の意志でエホバの証人を辞めるに至る。いわゆる脱塔。脱ものみの塔。
脱塔宣言の仕方はエホバの証人2世が脱塔宣言する際の3つの注意点(親に対しての告げ方)
エホバの証人をやめた後の中学校生活は自由そのもの。気ままに送った。縛り付けるものが何もなかった。エホバの証人はものみの塔協会の戒律を守らなければならないのが第一。そして、その次には上位の権威に従えとなる。
エホバの証人の定義する上位の権威とは
ものみの塔教会の教義の中に、上位の権威に従えという戒律が存在する。上位の権威とは、親、学校の先生、政治権力、そういったもの。そういった上記の権威は神エホバが認めた秩序であるとされている。
そうなると、戦争をおっぱじめたり、汚職に手を染めたり、独裁で人種差別をするような権力も神が認めたということになる。これは明らかな矛盾で、この教義はものみの塔協会のこじつけなのだ。現存の権力に真っ向から逆らうと都合が悪いから。
現行の権力者は神が認めたから存在できるのだとしている。民主選挙で選ばれた権力者が、さも神の是認を一旦は得たのだとしている。この教義のため、エホバの証人は、法律や校則を守る優良市民でなければならない。エホバの証人の教義に反しない限りは、社会的模範となる必要がある。
このため、学校でもエホバの証人の評判は意外と良い。先生に喰ってかかるような不良と比べれば、宗教上出来ない儀式はあるが、掃除、当番などの学校の活動は真面目だし、生活態度も良好だからだ。
エホバの証人をやめて実感する生の実感
エホバの証人として校則を守らなければなりません、エホバの証人の教義は絶対厳守です。とされていた私にとって、エホバの証人をやめた後は自由そのもの。たがが外れたように、奔放な生活を送り始めた。
やりたいこと、やりたくないことを自分で選び始めた。校内の掃除の時間などはさぼって、屋上や校舎の裏側へ消える。今さらクラブ活動に精を出しても、大会への出場は困難だったので、放課後はクラブ活動をさぼり、一人でサッカーの練習をする。
給食の直前の合掌も、いきなりやり始めるのはちょっと気恥しい。というか、生まれてこのかた一度も合掌のポーズをとったことがない。寺社に参拝したことが一度もないのだ。なんだかしっくりこないし、抵抗もある。
そういう訳で、給食の合掌はそのまましないことにした。目を閉じてエホバの証人スタイルで、給食前に祈りを捧げなくて良くなったのは最高だった。エホバの証人から解放された喜びはこの瞬間に特に感じた。
小学校の頃から、給食の時間が嫌いだったのだが、逆に待ち遠しくなった。給食ってこんなに美味しかったのか、腹ってちゃんと空くんだなと、そんな実感を得た。
エホバの証人をやめた中学生はどうなるのか
ようやく、人間らしく生きていけるようになったのだが、いきなり国家や校歌を歌い出したり、クラブ活動の応援を始めるというのも、なんだか決まりが悪かった。
そのため、やりたくないことがある日は学校をさぼったり、応援練習の時間になったりすると図書室だったり、プールの裏だったりへとフェードアウトするようになった。
明確な規範で縛られていたものが、急に自由になるとこうなる。自分の曖昧な感覚でやりたい、やりたくないを選択して決めなければならない。一瞬にして、私は問題生徒になった。もともとエホバの証人問題児だったのが、超問題児になった訳だ。
なかなか解けないエホバの証人の洗脳
私はエホバの証人をやめたとは言え、ものみの塔教会の洗脳下にはあった。天には絶対神エホバが君臨し、人間の罪をこと細かに観察している。その結果、終わりの日に罪深い人間には裁きが下ると信じ切っていた。
今考えると、相当に暇な絶対神なのだが、閻魔帳のようなものにあげつらわなくても、人間ごときの罪はすべて把握できるという設定なのだろう。なにしろ全知全能の神なので。
生れてからのマインドコントロールの影響で、私は自分の命の残数が少ないと覚悟していた。中学校で問題児扱いされようが、気にもならなかった。今日にでも終わりの日が来るかも知れない。そうなれば、すべて無に喫する。限りある人生を謳歌することに熱中していたのだった。
エホバの証人の洗脳手法についてはものみの塔協会のマインドコントロール手法
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