エホバの証人をやめた夜
私は、両親がエホバの証人でその一人息子という、いわゆる神権家族で育った。神権家族とはエホバの証人用語で、家族全員がエホバの証人という状態のこと。
女性、とくに母親がエホバの証人に引き込まれやすい。夫婦の場合、妻⇒夫の順でものみの塔のマインドコントロール下に陥落。子どもはその過程で強制的にエホバの証人扱いされ、神権家族が完成する。
私は、ほぼ生まれながらにしてエホバの証人の2世信者だった。そんな私だったが、14才のときにエホバの証人をやめると両親に宣言した。「もう集会にはいかない」と。
集会とはエホバの証人のミサのようなもの。王国会館というエホバの証人の教会に集まり、聖書を読んだり賛美歌を歌ったり、信者の交流の場であったり。
とある夜の集会に家族で出かける直前。私は、「もう集会にはいかない」と、脱会宣言をしたのだった。
このときの話は
エホバの証人2世が脱会宣言する際の極意3つ(親に対しての告げ方)
エホバの証人はいつでも安全にやめることができる
エホバの証人をやめた翌日。やめると宣言した翌日、ではなくやめた翌日。エホバの証人はやめると宣言さえすればやめられる。
ものみの塔は危険なカルトに間違いないのだが、やめるときに命の危険にさらされたり、多額の金銭を要求されることはない。この点だけは安全な組織。今のところは。
繰り返すと、エホバの証人は、やめると宣言すればやめられる。全世界の信者の人々に言おう。今すぐエホバの証人をやめるべきだ。そこにリスクはない。メリットしかない。
エホバの証人をやめることのメリット
- 人生の真実とは有限で限りある命、人生の無駄遣いをやめられる
- 家族、親族、友人とのホンモノの関係を築ける
- 健康になれる
この3点については別の機会に。
リスクはないと書いたが、私のようなエホバの証人神権家族の場合、家族が信者に残ると、その家族を失うことになる。リスクといえばリスクだが、エホバの証人の家族など、家族のようなモノにすぎない。後々、足を引っ張られるリスクの方が大きい。
一緒に脱会させられるのなら、それが一番良いのだが、それがムリなら、強情なエホバの証人家族は自分の人生から切り捨てた方が良い。自分の人生は自分のモノで、神のモノでもエホバの証人家族のモノでもないのだから。
エホバの証人をやめた清々しい朝
私がエホバの証人をやめたのは中学生のとき。エホバの証人をやめた翌朝、空がとても青く感じたのを覚えている。秋晴れの青空。あんなに穏やかで希望に満ちた気持ちになったのは、生まれて初めてだった。
エホバの証人であることを強制されている間には、空を見上げることなど無かった。いつもうつむいて、コソコソと歩いていた。エホバの証人信者であり、変り者であることを意識して、他人の視線が痛かった。
自転車に乗り、中学校に向かう。体が軽く感じられる。体にまとわりついていた重しが取れたかのよう。14年もの間、体にはりついていたエホバの証人というレッテルがはがれたから。
「オレはもうエホバの証人じゃない」
そう思うと、
圧倒的な自由さと、これからは何でもできるという活力がわいてきた。現役のエホバの証人の人には、この感覚をいち早く味わって欲しい。
しかし、その後の人生が何もかも上手くいくかというと、そんなこともない。急に自由になっても何をしていいのかわからない。何でもできる活力があっても、自分の意思で粘り強く何かをやるというのは、エホバの証人として過ごした時間が長いほど苦手。この点は次回。
エホバの証人のやめ方は
エホバの証人をやめるときの3つの注意点(正しい脱会方法のまとめ)
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