両親を裏切るという思い込みに、心を痛めるエホバの証人2世

14才の私がエホバの証人をやめたときの話

生まれながらにエホバの証人2世だった私が、脱会したいと強く考えていた14才の頃の話。

心の中ではもうエホバの証人ではないのに、表面的には信者として振舞わなければならなかった。それは、熱心なエホバの証人だった両親に対して、いまだに「エホバの証人をやめる宣告」ができていなかったから。

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とある地方の中学校に通っていた14才の私。給食の前に皆が手を合わせて「いただきます」と言っている。私は両手の指を交差させ握り合わせて、目を閉じて神に祈るふりをしなければならなかった。

思春期の私にとっては、これがとんでもない屈辱であり、心の中で「オレはもうエホバの証人じゃないのに」と、恥を耐え忍ぶ日々だった。

「いただきます」が言えないエホバの証人2世

日本の学校では、給食の前に手を合わせて「いただきます」とやる。この合掌は、あらゆるものへの感謝。農家だとか、天候だとか、給食のおばさん、給食費を出している両親など。雑多なものへの大雑把な感謝。

決して、宗教的なものではない。しかし、この合掌のスタイルが日本古来の神々に対する祈りのポーズであるため、ものみの塔は合掌のポーズを取ることを禁じている。
(2023年追記、教団が禁じていたのか、親が禁じていたのかは不明だが、教団としては他宗教の崇拝行為を禁じている。そのため、本質的には教団指示)

そのため、エホバの証人2世は合掌ができず、クラス全員が手を合わせているタイミングで、エホバの証人スタイルで祈りを捧げなければならない。

両手の指を握り合わせるキリスト教スタイル。この格好で目を閉じ、「今日のパンを感謝します」と、神エホバだけに感謝する。

これが学校のある日だと、毎日。クラス中から好奇の視線を浴び、変人、キリストとからかわれる。周囲と一緒になって「いただきます」ができれば、どんなに良かったか?何も考えずに、ただ普通にいられるだけで良かったのに。

給食の時間がやってくるたびに、食事の前後の「いただきます」と「ごちそうさまでした」が憂鬱だった。給食の前後になると急にお腹が痛くなることがよくあった。このストレスが原因だったと考えられる。

エホバの証人2世の見る、裏切りを示唆する夢

エホバの証人をやめたいのに、両親にそれを告げられない。この頃が、私の人生の中で一番辛かった。

エホバの証人の会衆内の人間関係や、学校にいるエホバの証人2世のことはどうでも良かった。私は、クソ真面目なエホバの証人たちには魅力を一切感じていなかった。彼らとの関係が切れるのは大歓迎。

ただ両親に対しては、度重なる虐待※を受けていたとしても、愛情を持たざるを得なかった。両親の期待を裏切ることになる、これが「エホバの証人やめてやる宣言」がなかなかできなかった理由。
※エホバの証人組織は懲らしめと称して体罰を行うことを推奨している

両親の期待を裏切ることと、両親を裏切ることは違うし、宗教を強要する親など裏切ったって構わないのだが、14才でその決断を下すのはなかなか難しい。

この頃に良く見た夢がある。私の好きな中国の三国志の話。

三国志に出てくる登場人物の劉備・関羽・張飛の三兄弟。彼らは血のつながった兄弟ではなく、契りを結んだ義兄弟。三人は、生まれた日は違えど、死ぬ日は同じという誓いを立てる。

結局、彼らは同時に死ぬことなどできず、順々に死に別れる。しかし、彼らは乱世において互いを裏切ることなく、人生を全うする。財産や爵位をどれだけ積まれても、義兄弟を裏切ることはなかった忠義の人たち。

そんな中の誰か一人に夢の中の私はなっている。そして、あとの二人に呼びかけられるのだ。「出陣するぞ」と。しかし私は、それに応じない。無視する。裏切るから。私は思う。「共に攻めるのではく、今からお前らに攻め込むのだ」と。

辛い決断だったが、生き残るための苦肉の策。夢の中の私は迷いに迷い、裏切りを決断する。事前に袂を分かつわけではなく、ギリギリのタイミングでの最終決断。ときが来る。裏切るべきとき。寝返るそのとき。

これは当時の私の立場を表したものだった。両親を裏切るとき。そのときが目前に迫っていた。「集会に行くよ」と両親に言われ、「もう集会には行かない」と言うそのとき。

この一言を言い出せないこの頃が、私の人生で一番、苦しい時期だった。しかし、そのときは来た。その話は次回

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