エホバの証人2世の子ども、悲しい「運動会」や「夏祭り」の記憶

エホバの証人の子どもが禁止される、夏祭り

私は元エホバの証人2世で、約15年をものみの塔というカルト集団で過ごした。両親がフルにマインドコントロールされたエホバの証人だったので、私は生まれてから自分の意思で脱会するまで、エホバの証人というカルト宗教を強要された。

エホバの証人は各種の行事への参加が禁止されている。ものみの塔が他宗教の行事すべてを禁じているため。これが私の苦い記憶になっていて、息子が学校の行事に参加するたびに、過去の忌ま忌ましい記憶を思い出す。

最近だと七夕祭り。エホバの証人は七夕も禁止。夏祭りも禁止。この時期になると、子どもの頃の夏祭りの苦い記憶がよみがえる。

短冊に願い事を書くと叶う理由~七夕禁止のエホバの証人

私が小学校に入る前のこと。同じアパートに住んでいた同年代のトシ君が、お祭りの屋台に誘いに来る。トシ君は真新しい青いハッピを着ていた。

私が家を出ようとすると、母親が「絶対にダメ」だと言い出す。泣く泣くトシくんに「一緒に行けない」と告げ、自宅でしょぼんとすることに。

この頃は、まだエホバの証人の教理が頭に入っておらず、体にも染み付いていなかった。理由も分からない不条理な思い出。

しかし、小学生の高学年にもなれば、宗教色のある行事はエホバの証人には禁止ということが体の隅々にまで染み渡っていく。学校で行われる節分やクリスマスなどの行事のたびに、自ら信仰を表明することを強要され、何度も悲しく恥ずかしい思いをした。

エホバの証人の子どもの悲しい運動会

その反動もあり、私はキャンプや電車ツアーなど、ものみの塔の教理に反しない行事であれば、親に参加を許して欲しかった。しかし、両親はエホバの証人でない一般の友達と必要以上に接触することを好ましく思わなかった。

学校の遠足のような、どうしようないモノ以外は許可されることは無かった。毎週の予定であるエホバの証人の集会や布教活動が、最大限に優先された。

私は、学校の運動会でも気を抜くことができなかった。騎馬戦の参加は許されなかった。戦いの真似事はエホバの証人には許されないから。騎馬戦の間はクラスでただ一人、席に座って見学。

応援合戦などもダメ。エホバの証人は、熱狂的に誰かを応援するのは人間崇拝に当たるとして禁じている。大人のエホバの証人は、大会などで狂信的に拍手して演者を褒め称えているのに、子どもにとっては不憫な話。

三々七拍子とか応援が始まると、クラス全員起立して手を叩いているのに、一人席に着席していなければならない。抜群の恥ずかしさ。
※起立する、着席するの指定は、親や地域によって同じエホバの証人でも差がある

学校の運動会が日曜日に開催される場合は、私の家庭ではエホバの証人の集会が優先された。午前中はエホバの証人の集会に行き、運動会には午後の部だけしか参加を許されない年もあった。

散々練習した運動会でも、本番が日曜日の集会と重なると参加できない。結局、運動会にも楽しい記憶は一切ない。


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