七夕が禁止のエホバの証人
昨日は7月7日、息子が通う幼稚園では七夕祭りがあったようだ。帰宅した息子は、「笹の葉さーらさら~」と歌っている。短冊や笹に吊るす飾りなどを持ち帰ってきている。お願い事はまだ書けないのか、短冊は白紙。
こんな日常が私の子どもの頃にはなかった。エホバの証人の子供は七夕が禁止なので。短冊に願い事を書く、作った飾りを笹に結ぶ、七夕の歌を歌う。全て禁止だった。
なぜなら、七夕に逢瀬を重ねる織姫と彦星、彼らは神々の子孫で神話の登場人物であるから。エホバの証人は自分たちの聖書以外の神話は全て異教として、読むことも触れることも禁止している。
私が小学生のときの、7月の朝の歌はずっと「七夕の歌」、これを歌うのは禁止。憂鬱な一か月が続く。12月も同様で、朝の歌は一か月「サンタが町にやってくる」、これも歌えないので、同じく12月も憂鬱な朝を迎えることになる。
短冊に願い事を書いても叶わない。そう子どもの頃から教えられた。迷信であると。大人になって、そのエホバの証人の言う「短冊に願い事を書いても叶わない」こそが迷信であるとわかった。これに気づいたのはつい最近のことである。
短冊や絵馬に願い事を書くと、その願望は叶いますよ。
短冊や絵馬が迷信ではない理由とは
文字や言葉にして、自分の願い事を表明するということがまず大事。心の中だけでなく外部に発信、宣言できた。それだけでまずは一歩前進である。
さらに、文字にして書いて、それを見ると自分の脳に入って来る。声に出して、聞くと、自分の脳に入って来る。
すると、自身の脳にイメージとして焼き付く。そうすると、その目標に向かってとりあえず動き出そうという気になる。イメージが湧くたびに、願望を叶えるために何かしようと動き出せる。
その目標・願望を見失わないための七夕と初詣。七夕で短冊に書いて、初詣で絵馬に願い事を書く。半年に一度は自分の願望を言葉に書いて思い出し、努力を続ける。そのための行事。
「ものみの塔協会が崩壊しますように」と短冊に書くと
例えるならば
- 「ものみの塔協会が崩壊しますように」と七夕の短冊に書く。
- 塔が崩壊っていいなと。てっぺんがギザギザのものみの塔協会のロゴが崩れるイメージが湧く。
- ものみの塔を倒すために、努力を続ける。例えば、このブログを書く、会う人にブログを宣伝する、ブログに書くために脱カルトの勉強をする。
- 努力を続けているが、だんだん飽きてくる。100年以上も続いている組織を倒せるのかと疑問も出てくる。
- 初詣に行って、絵馬に「ものみの塔協会が崩壊しますように」と書く。
- 心機一転、2からの繰り返し、3で出来ることが増える。例えば、知り合った元二世信者と共同で脱退者支援を始める、現役信者が使っているiPadへ有益情報をメールを送付するなど。
- 1⇒6の繰り返しで、遂にものみの塔が崩れ去る。
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