真理を追い求めるエホバの証人が至るべき真理
『良心の危機』、第13章「展望」から。
エホバの証人をやめることについて、著者は以下のように友人の言葉を紹介している。
無駄な望みをきっぱりと捨てた者には、その代償として穏やかさが与えられる
無駄な望みとは、永遠の命とか復活から始まり、エホバの証人組織の不義、教義や予言解釈の矛盾が正されること。
そんな無駄な望みは、今現在の自分自身とは一切関係ない。
宇宙の主権とか神の存在とかそんなモノは、一個人、特にカルトに騙されちゃうような幼稚な精神性の人にはどうでも良いこと。
かつて真理を追い求めた者、そして、今なお追い求めていると「思い込んで」いる者にとって、本当の真理にたどり着くことがいかに重要か。
本当の真理とは、「ものみの塔はカルトで自分は騙されていた」ということ。その真理にたどり着くと平穏が訪れる。ありとあらゆる疑問が解決する。
なんでエホバの証人って神に是認を受けているはずなのに、こんなに不幸せなのか?
答え:エホバなんて存在せず、カルト行為で世界を汚染しキリストを冒涜しているから。そりゃ家族は去り、世間から疎まれる。しまいにゃ自分自身の健康・精神まで病む。
エホバの証人をやめた後のボーナス
真理に至るには苦しみを伴うが、それから先は単純。複雑怪奇な教理や煩雑な戒律に思い煩うことはない。カルト信者として犯した罪を償うだけ。
そのためにはまず自分が救われること。自分のことをまず最優先で考える。自分の生活と精神の安寧がなけりゃ罪滅ぼしなど出来やしない。
まずは自立、自律せよ。自分の意思を取り戻し、自分の生活を確保しよう。
著者は真理を求める姿勢についてこう書いている。
真理について自分は妥協しなかったということが、もっと別な面から本当に解き放たれた気持ちをもたらしてくれる。この解放感を責任感と共にしっかりと受け止めれは受け止めるほど、結果は良いものになる
本書では、この責任感はキリスト教の宗教者としての行動につなげていくのだが、日本社会にはキリスト教は必要不可欠なモノではないので、日本のエホバの証人脱会者たちは自身のカルト信者としての罪滅ぼしに邁進するだけで良い。
何度も書くが、自身の生活が安定した後で。それまでは罪の意識などなくていい。自分だって被害者の一人だったのだから。
そして、この先にボーナスが待っている。
時間はかかるかもしれないが、必要な努力さえすれば新しい人間関係は生まれるものである。むしろその新しい人間関係の方がしっかりとしたものとなる
真理を曲げてエホバの証人の教義を妄信しているなら、という条件が不要の人間関係。ここで著者が述べている必要な努力とは何か?
自立と自律、相手に対する敬意と思いやり。大したことじゃない。エホバの証人の以外のほとんどの人が普通にしていること。