1914年、C・T・ラッセルの思い付き
エホバの証人 – STOPOVER(途中下車)で読める『ものみの塔の終焉』。7章『1914年にキリストは臨在していない』から。
エホバの証人の存在の根拠となる1914年の教理、これはC・T・ラッセルの「閃き」だったと本資料の著者が述べている。
閃き、思い付き、こじつけ。
以前にも書いたが、ものみの塔の権威の根源である1914年の教理は無根拠。聖書内を掘り繰り返して、無関係な箇所をさも関係あるかのように「こじつけ」ただけ。三段跳び論法。
そして、最後に三段跳びからの、考古学を無視した論理ハイジャンプ。
三段跳びからのハイジャンプくらいに「こじつけ」てぶっ飛ばないと、ラッセル君の閃きには筋が通らない。「こじつけ」まくっている段階で筋は通っていないのだが。
ハイジャンプだろうが、何だろうが、予言は当たれば良いのだが、いい加減な「こじつけ」予言が当たるはずはなく。
1914年にこの世が終わることになっていて、直前にそれはヤバいとラッセル君は方向転換。「別に予言したわけじゃねぇっす」と訂正したのだが、純朴熱心エホバの証人にそれは届かず。
エホバの証人が1914年に関して夢を見た経験が1976年の「エホバの証人の年鑑」から引用されている。
ある晩、わたしはエクレシア(会衆)全体が汽車に乗ってどこかに行く夢を見ました。雷といな光がすると、たちまち仲間の人たちがあたり一面死に始めたのです
・・・
それから突然わたしは死んで、大きな解放感と満足感を味わいました。この古い世に関する限り、万事がまもなく終わろうとしていること、また、『小さな群れ』の残りの者が栄化されようとしていることを、わたしたちがどれほど確信していたか
あいたたた・・・栄化って何すか?確信しちゃってたんすか・・・。
ものみの塔の麻薬中毒「予言ハズシても信者減らねぇっす」
“「予言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔” の続きを読む