エホバの証人(JW)は宗教勧誘の前に真の狙いを告げよ

本来の目的を隠すエホバの証人の勧誘方法

エホバの証人は愚かだと昨日の記事で書いた。存在しない神に輸血拒否で命を捧げる愚かさ。今日も続ける。

エホバの証人は人生すべてを捧げることを要求される。職や学歴を投げ捨て、宗教活動に自身の時間全てを捧げることが是とされる。

当初は週に1回の集会参加だったのが、週に3回になり、毎日布教活動に行くようになり、月間100時間にとエスカレート。献身という儀式を受ける際には、自身の何もかもを差し出す誓いを立ててしまう。

こんな誓いには何の拘束力もないので反故にすればいい。しかし、献身の段階では何もかもを差し出すと決意する激ヤバ思考に至っている。

小市民にとって、自分の人生は自身や家族のためのものであって、米国由来の怪しげな新興宗教に捧げるものではない。そこは誰でも初めは理解しているのに、のめり込んで行くうちに見失ってしまう。

あまりにも愚かなのだが、それがマインドコントロール、宗教が習慣化すること、疑似コミュニティによる同調圧力といったエホバの証人の収奪プログラムによって達成されてしまう。

エホバの証人は誰かに宗教勧誘する際、まずこう告げるべきではないか。

「私はあなたにエホバの証人になって欲しい。それはあなたが人生の全てを神エホバに差し出すことを意味します」と。

こう正直に自分が陥る奈落の底のあり様、凶悪な未来を告げられていれば、現在の日本に20万人もエホバの証人はいない。最終的には献身させたいのに、当初は『無料で聖書を学べます』と入り込みやすくしている。本来の目的を隠すやり方。

杜撰な設定、エホバの証人の完全な肉体・精神

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エホバの証人(JW)に示すべき寛容さの本質とは?

カルトに寛容さを示すべきではないと、変化すべき

ここ数日、エホバの証人に寛容さを示したり、多様性を認める必要はないということを書いている。

我々の死を待ち望んでいるエホバの証人は、多様性や寛容さの適用外

昨日の記事では、エホバの証人に多様性とか寛容という現代感覚で美徳を示すのは甘い。しっぺ返しをくらうと書いた。

今日は、寛容という言葉でエホバの証人を見逃すのは中途半端であると。表面的な善性に過ぎないということを示す。

寛容とか多様性ってのは、時代とともに変化して現れた感覚。以前は寛容ではなかった、昔に比べて良くなっているというのが大方の共通認識。かつて肌の色とか人種で差別されるのが当然だったが、それが今では変わり、人類の愚だったという反省点になっている。

かつての差別が人類の誤りであったと考えられるようになった。これが表すのは、今現在の価値観が普遍的で人類共通に未来永劫正しい価値観ではないということ。人種差別は非で、多様性を認めるべきとなった。このように価値観というのは時の経過とともに変化していく。

そして現代社会は、カルトには多様性も寛容さも要らない。というふうに変化しなければならない。カルト許すまじと。

寛容さの本質とは?

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マインドコントロールのための、エホバの証人の家庭聖書研究

エホバの証人のマインドコントロール「家庭聖書研究」

エホバの証人の布教テクニック

『近現代日本とエホバの証人』の第四章「従順の時代」。1970年代半ばから1990年代半ばまでの日本のエホバの証人を考察。この時代に私は生まれ、自身の幼少期と家族をエホバの証人というカルトに奪われた。

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この当時の、そして今でも変わっていないだろうエホバの証人の布教テクニック。

「家族生活や子育てに聖書の助言が役に立つ」といったアプローチ方法が提言されている

今になってエホバの証人がこんなことを言おうものなら、寒風ふきすさむ悪い冗談でしかない。

エホバの証人の数多の家庭は崩壊し、子どもの2世信者は懲らしめという虐待を受けた。輸血拒否で死んだ子どももいる。

「家族生活や子育てに聖書の教えを・・・」と言っているエホバの証人がいれば、「ではお宅の家庭は?お仲間の信者は全員家族がエホバの証人ですか?」と聞いてみればいい。

道を違えた家族がいるのなら、初めからエホバの証人になんてならない方がいい。永遠に生きたり、神の宇宙主権とか証明しなくても良いから、いま目の前にいる家族と添い遂げたい。

しかし、当時、私の母親がエホバの証人の毒牙にかかったのは、まさにこれ。

やんちゃ坊主の片りんを見せていた1才にも満たない私に戸惑っているところに、エホバの証人の訪問を受けた。そして、騙され、エホバの証人の家庭聖書研究が始まる。

カルト宗教の本質、カルト3原則その3「マインドコントロール」

エホバの証人の家庭聖書研究とは?

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エホバの証人の反戦、平和的行動が評価されるべきでない理由

エホバの証人と戦争

エホバの証人と戦争

『近現代日本とエホバの証人』、第二章「灯台社の時代」末尾部分。

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日本におけるエホバの証人の始まり。戦前に明石順三が米国から持ち込んだことに由来する。戦時中にはエホバの証人は思想犯として逮捕収監された。

当時のエホバの証人活動が、「平和と反戦」という方向性で好評価されることがある。軍務を拒否し、戦争にも反対したと。

この大戦が敗戦に終わったことや、統帥権の濫用による暴走・無計画とも言える開戦の成り行きにより、この戦争を批判することが盲目的に正しいとされる風潮もある。

先の大戦の是非を問うのは、このブログの主旨とは異なるし、一概に断じられる知見も無いので避ける。なので、「日本のエホバの証人が、戦時中に戦争反対の行動を示していて素晴らしい」という意見に対してだけは、反対意見を述べておきたい。

国民として戦火の中にあった場合、エホバの証人のように「戦争反対、兵役拒否」という態度をとるのが果たして正しいのか?戦争の是非はともかく、始まってしまったら、国民として成すべきことを成すという態度が正しいのではないだろうか。

別に戦争賛成と言っているのではない。戦争で死んだり、殺し合ったりするのは絶対にイヤだし、少なくとも平和主義を謳っている、この時代この国に生まれてきて、私はラッキーだったと思う。

とはいえ、実際に戦争が始まってしまったのなら仕方ない。国民としてやれることをやるのが正しいのではないかと。

当時のエホバの証人の反戦行動が国全体に広がったとすると、戦争を継続することができず、早々に国家瓦解。中途半端な国として疎んじられ、外国の分割占領統治を許し、踏みにじられ、現在の日本という国は存在しない。我々の祖父、曾祖父の世代は、他国に搾取され犯されという目に遭う。

個人として戦争反対という意見を持つのは何の問題もない。戦争が始まってしまっても反対は反対、という個人的態度をとりつつも、国民としての責任・義務は何らかの形で果たす。それがあるべき姿。非常時の国家で逮捕収監されてまでお荷物になるのはいかがなものか。

『近現代日本とエホバの証人』、カルトに取って喰われる無自覚層

ブレずに教団至上主義のエホバの証人

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エホバの証人にマンガ喫茶の無料クーポンをプレゼントしよう

合法的にエホバの証人のマインドコントロールを解除する方法

エホバの証人の極限状態とは・・・

昨日の記事で「極限状態とエホバの証人情報の遮断」で、エホバの証人のマインドコントロールに風穴を開けられるのではないか、と書いた。

ヒントになったのはエホバの証人を日本に輸入した明石順三。彼の極限体験は思想犯としての収監。

まさか、現在の日本でエホバの証人だからという理由だけで、逮捕されたりはしない。ならば、この極限状態を現代社会でいかに再現するか?

極限体験としてよく例に上がるのが、大災害であったり、身近な人の不幸であったり。そんな極限状態を作り出してエホバの証人に味合わせるわけにもいかない。

ならば、エホバの証人情報の強制遮断。ふんだんにエホバの証人のマインドコントロール情報を浴びている者から、それらを急に没収すれば、それはそれで極限状態。

エホバの証人文書を発行禁止にして信者が見られないようにする。どうやったら発行禁止にできるのかという問題もあるが、たとえ発禁になっても現代ではネットで見れちゃうし、日本語版の翻訳がなくとも自動翻訳で簡単に読むことが可能。日本のものみの塔協会の冗長な翻訳より、自動翻訳のほうが優れているかも知れないくらい。

赤の他人の信者からものみの塔本を強制没収することは不可能だし、たとえ家族で、全部燃やしたりしても逆効果。本人のマインドコントロールが燃え上がるだけ。むしろ隠れて読むだろうし、ネットで簡単に閲覧できるので、一切効果なし。

物理的にエホバの証人情報の遮断が不可能ならば・・・

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エホバの証人のカート布教活動、街宣再開~いつ?どこで?

朝のカート布教に憂うこの国の未来

エホバの証人のカート布教活動、いつ?どこで?何人?

カートだか看板だかを持って立っているエホバの証人の街宣布教。コロナ禍でとんと見かけなかったのだが、遂に今日、遭遇。我が家の最寄り駅の駅前にて。

コロナ前と時間をズラしていて、私の生活圏内にモロに入り込んできていた。具体的には夕方から朝にシフト。急ぎ足で出勤する人に「聖書を学ぶ・・・」は一切響かないと思うけど。政党応援の先客がいたので、場所もコロナ前とは微妙にズレていた。

カート両脇に中年女性2人。駅に向かう人々をはさむ形で離れた場所に3人。向かい合う状態で立っている。3人のうち、一人だけ男性。中高年といったところ。あとの2人は女性で一人は中年、もう一人は若けりゃ20代かなというところ。

真夏の朝から体力的に稼働可能な年齢層が出てきているだけなのか、言われているほど高齢化していない印象。このままだと先細りしつつ、来世紀までエホバの証人は継続しちゃうんじゃないかと。

その過程で、突発的に勢いを増してしまうと、とめどなく信者が増殖してしまう可能性もある。1990年代の二の舞い。

21世紀、エホバの証人は決して減っていない

例えば統一教会の脱会者を吸収していくとか。基本的にはカルトなんてどこも同じで、心の隙を突かれて騙されているだけ。心の隙とは信じ込みやすい体質だったり、強烈な運命論者だったり、孤独だったり。

統一教会に依存して埋めていた部分に、エホバの証人がピッタリ収まる類の人がいるだろう。それをグングン取り込んだりすると、厄介で不吉な未来が訪れる。

カルトの無い未来を次世代に

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エホバの証人とものみの塔崩壊の黎明期、明けない夜はない

明けない夜はない

エホバの証人の増減を4つの時期に分けて考える

エホバの証人は果たして減っているのかという記事を以前に書いた。この件、さらに考察。

今回も、エホバの証人の数=平均伝道者の数としている。
(エホバの証人公式サイトとももきち2014さんのブログを参考)

1993年以降のエホバの証人の人数の推移。新世紀に向けて右肩上がりで上昇。その後1999年にマイナスに転じて、以降は漸減傾向にある。

エホバの証人の平均伝道者数推移

※2022年を追記(2023/11)

これを、私の解釈で勝手に時期別に分けたのが下の図。

エホバの証人の平均伝道者数_期別

※2022年を追記(2023/11)

  • 1993年~1998年を増加期
  • 1999年~2003年を第一次微減期
  • 2004年~2010年を(エホバの証人崩壊の)黎明期
  • 2011年~現在を第二次微減期

とした。

1998年までに終末ビジネスの神通力を出し尽くし、22万人で日本のエホバの証人は頭打ち。これが悪夢のエホバの証人増加期。

以降の第一次微減期で、ミレニアムで大騒ぎだった2000年、2001年は1500人以上減っている。

ものみの塔の予言するハルマゲドンが来ないまま、普通に21世紀を迎えるとは思っていなかったエホバの証人が目ざめたのか。はたまたノストラダムスの大予言とエホバの証人の予言を一緒くたにしているような信者が、どっちもハズれかということで脱会したのか。

この減少も止まり、エホバの証人の増減がほぼ横ばいになるのが2004年からの黎明期。この期間がエホバの証人崩壊の序幕となれば良かったのだが、そうもならず。

2011年以降、再び下落に転じるのだが、これも微減。1993年~の増加期に比べるともはや平らと言ってもいいような緩やかな減り方。

エホバの証人の復讐心は、カルト殲滅の原動力になるか

エホバの証人のマインドコントロール解除要件、「世の人」ガードを下げさせる

明けない夜はない

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エホバの証人の「輸血しない方が良い3つの理由」が成り立たないワケ

エホバの証人の輸血拒否に対する暴論

エホバの証人の主張「輸血しない方が良い3つの理由」は不成立

エホバの証人やその同調者と輸血拒否の議論になると、上げてくる3つの「輸血しない方が良い理由」

  1. 「輸血は安全ではない」

  2. 「輸血しない方が予後がいい」

  3. 「輸血しない方が医療行為が軽く、医療資源を無駄にしない」

前提として、これは論点のすり替えであり、本来、エホバの証人たちは単純に教義上の理由で輸血しない。しかも、その教義がいい加減というのは昨日の記事で触れた。

今日は、この3つの理由が成立しない理由。

輸血が安全でないとしても、まず目前の危険を避けよ

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ものみの塔が、意思を持たないただのシステムになっている

誰も得をしない寄付集金システム「ものみの塔」

カルトの集金構造

エホバの証人に限らず、すべての新興宗教にあてはまることなのだろうだが、騙している側に騙している自覚が無い。

騙している側も、自分の人生、財産、貴重な時間すべてを投げ出している。ホンモノの宗教だと盲信して、新しい信者を開拓しようとしている。誠心誠意よかれと思って、布教活動を行っている。

これがマインドコントロールされている状態。善意ある行動のつもりが、知らず知らずのうちに悪事に加担している。

そして、ほんの一部の人間が上がってくる旨みを吸っている。こいつらが確信犯で、騙している自覚があるというか、騙される奴が悪いくらいに思っている。

この旨み吸い上げの集金システムは、カルト教団にとってトップシークレット。上層部にしてみれば、自分たちがウハウハな贅沢生活を送っているなんてことは末端信者に知られてはならない。

厳重に情報統制され、末端信者たちが外部情報からトップのウハウハ生活を知ることがないよう、情報制限されている。もしくは、それを知らされてもウソ、背教者、反対者の欺瞞だと、事前に釘を刺している。

ものみの塔の収奪システムは・・・

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エホバの証人の偽ボランティア活動で、傷つく子ども

エホバの証人の子どもが負う傷

エホバの証人のボランティア活動とは

エホバの証人は、家々を周って新たな信者を勧誘する行為をボランティアと称している。「宗教活動で新たな信者を集めています」と言っても、食い付きが悪いから。

最近のエホバの証人は、駅前などで立て看板と一緒に立っているのだが、かつては文字通り家から家へ、しらみつぶしに回っていた。住宅地図を塗りつぶしながら回る周到さ。

留守の家があれば、時間帯をずらして夕方などに再チャレンジ。これは留守宅訪問などと呼ばれていた。

この布教活動は、野外奉仕活動、伝道奉仕活動などとも呼ばれる。私がエホバの証人をさせられていた、たしか1980年代後半頃、ボランティアと言い出すようになった。

当時は、ボランティアなどという言葉は、日本では定着していなかった。

エホバの証人の世界本部は米国にあるので、日本ではちょっと先進的とも思える言葉を使ってみたり、奇抜とも思える問題を雑誌で取り上げたりしている。

日本のエホバの証人たちは、自分たちが「ちょっと進んでいる」と言い、これを誇りに思ったりもしている。

エイズとか家庭内暴力とか、テロだとか、当時の日本人にとって、興味の無い、対岸の火事のようなことを、わざわざ米国から輸入してくる。

そもそも、エホバの証人という宗教自体が米国から輸入された余計なモノなのだが。

エホバの証人の子どもに傷を残す、カルト勧誘

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