エホバの証人に対する復讐心は、カルト撲滅の原動力になるか

元エホバの証人2世の復讐心という原動力

『同志少女よ、敵を撃て』より。AmazonのAudibleで聴いている途中。

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復讐すると決めたとき、生きる活力が戻ってきた

復讐の力は生きる希望を与えてくれる

復讐を遂げるという目標によって生きる理由が生じる

復讐心が戦争の原動力になっている。

私が、ものみの塔を壊滅させようと、不毛にも思える活動を続けているのは、復讐のためなのだろうか?とふと考えた。

ものみの塔が存在しようがしまいが、具体的に被害を受けている家族・知人は既にいない。ものみの塔が消滅したところで何かご利益があるわけでもない。

両親との家族を失ったこと。取り返すことのできない無邪気な子ども時代。その復讐。この感覚は多少ある。

しかし、それを原動力に生きる糧に変えるというほどのエネルギーではない。そんなモノがなくとも、脱会後の人生で生きていく糧を充分に築いてきた。

それより大きいのは怒りと苛立ち。嫌悪。

誰にも言えない人生の汚点を、よくもオレに残してくれたなと。覚えとけよ。必ず後悔させてやるという思い。これがものみの塔を消滅させたい一番の原動力。結局は復讐心。

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ものみの塔の崩壊だけを人生の目的にしない

エホバの証人を最後の一人になるまで、減らし尽くすか、ものみの塔を解散させるか。さすがにそこまでいけば、スッキリする。

怒りの根は深い。脱会してから30年弱。怒りは収まるどころか煮えたぎるばかり。

脱会直後の方が、まだ罪悪感(洗脳直下だったのでエホバという架空の神や両親に対しての罪悪感)があったから大人しくしていた。

後に、家族総出でものみの塔に騙されていたと決定的に気付く。そして、自身の心中を整理整頓して残ったのが、ものみの塔という完全悪に対する激しい怒り。

エホバの証人をゼロに、断末魔を上げるものみの塔にとどめを刺す。放っておいても崩壊するという意見を聞くのだが、それでも日本の伝道者数20万人、世界には800万人。膨大な人数。

エホバの証人がカルトで社会悪であると確信した今、自分の行動は曲がりなりにも世界の役に立っている。被害を受ける人を減らすことができる。それも活動を続ける源泉にはなる。

生きる糧は別のところに持っておいて、静かに激しく復讐心を燃やす。全てをものみの塔に奪われた両親のように、カルト殲滅に人生を捧げない。人生の目的の一つ。でないとまた、人生すべてをものみの塔に奪われることになる。

それが、エホバの証人を人生から完全に遮断しているあいだにたどり着いた答え。自分が死ぬか、ものみの塔が死ぬか、どちらが先に斃れるかでやってしまうと、敗北したときに何も残らない。人生すべてを失ってしまう。

復讐だけで走り続けているわけではない。同時に、異なる次元に自分の人生を築かないと、虚しさが残る。ここまで整理できているのだから、あとはひた走るのみ。


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