エホバの証人は我々が殺される日を待ち望んでいる
『近現代日本とエホバの証人』、結章から。
宗教的多様性や寛容が提言されている今日、教団としてのエホバの証人がその信条内容ゆえに非難されることは少なくなった
いやいや、それじゃダメなんすよ。エホバの証人は非難されないと。多様性とか寛容とかで許しちゃいけない地点に達しているので。
理由は山ほどある。とりあえず一つだけ挙げると、
あなたやあなたの家族がエホバの証人でないのなら、エホバの証人は、あなたやあなたの家族が殺される日を待ち望んでいる。
ハルマゲドンというエホバの証人以外の全人類が神に滅ぼされる日。その日をエホバの証人は心待ちにしている。
エホバの証人は何が何でも我々の死を待ち望んでいる
「いや、あなたのことを救いたい」と、エホバの証人は言う。しかし、その救いにはキツーイ条件がある。エホバの証人への入信という人生罰ゲーム。そりゃお断り。エホバの証人みたいな制限だらけの生き方は絶対したくない。
「じゃあ死ね」というのがエホバの証人の論理。
「誰が救われるか、滅ぼされるかは神のみぞ知る」ってエホバの証人は言うかも知れない。いやオレは救われたくないよ。神の方から「生き延びて下さい」ってお願いされてもお断り。刺し違えてやる。
だってオレ、死んでもエホバの証人をもう一回やりたくない。そしてエホバの証人とか、ものみの塔、エホバとか大っ嫌いだし。
私のエホバ嫌いとそれに準じる考え方の人、絶対にエホバの証人基準ではハルマゲドン死。ここが助かるんなら人類全員助かるって。それなら現在進行形で辛い思いしてエホバの証人を続ける意味がない。
「ハルマゲトン生還はエホバの証人本来の目的ではない。本当は神の宇宙主権の立証です」って言われたら?今どきこんなオメデタイ現役信者がいるのかは不明だが、その宇宙主権とやらが立証される日がハルマゲトンという人類虐殺デー。
主権証明型の高意識なエホバの証人だって、非信者が死に絶える日を待ち望んでいる。
だから、どうエホバの証人側が否定しようと、エホバの証人は我々の死を、我々が殺される日を待ち望んでいる。そんな破壊的信仰心が多様性とか寛容という甘っちょろい言葉で許されるはずがない。
ハルマゲドンなんて現実には起こり得ない。だから実質無害、生暖かい目で見てあげようってのが寛容さだとしたら、それは甘い。そして、それは単なる表面上の美徳、上っ面の寛容さに過ぎない。続きは明日。
“我々の死を待ち望んでいるエホバの証人は、多様性や寛容さの適用外” への2件の返信