極限状態とエホバの証人情報の遮断が、解放へのヒント
昨日の記事で、エホバの証人を日本に持ち込んだ「灯台社」明石順三がものみの塔を見限った理由を考察した。その理由とは、極限体験とものみの塔情報の遮断。
明石の極限体験は思想犯としての収監。しかも大戦末期の混乱期。極限も極限。この極限体験中に「こんな目に遭うくらいなら、エホバの証人なんざまっぴらだ」となったわけではない。
明石は日本のエホバの証人の活動の中心人物だった。周りを騙し、自分もまさに命がけでエホバの証人活動を行い、信仰の陶酔の中心にいた。その状態で捕まり拘留。拘留中はお仲間の信者や、エホバの証人情報から強制的に距離を置くことになった。
肥溜めの中にいて、外にいる人間をそこに引きずり込んでいる間は、その臭いに気付かなかった。ところが逮捕され肥溜めを出て、今度は違う刺激臭のする場所に拘留された。
拘留中は肥溜めを思い描き、記憶の中のそのかぐわしい臭いを追い求める。一転、解放され待ちわびた肥溜めに頭からダイブすると「何だこれ?くっせー」となった。
極限状態で鼻をリセットするわけだが、リセット後もしばらくは元の臭いを与えてはいけない。エホバの証人情報は完全遮断。エホバの証人漬けになっていた状態をきれいさっぱり洗い流して、真っ白にする。心根までは変えられないもののエホバの証人欠乏状態にする。
その状態で解放された明石は、エホバの証人文書を読んで「何だ、この非聖書的な組織は!」となった。
エホバの証人の激安マインドコントロール
『マインドコントロール 増補改訂版』では以下のように書いている。
安っぽいマインド・コントロールの場合には、コントロールする側の作為が正体を現し、欺瞞の痕跡を残してしまう。そうした場合、いつか不信が芽生えた時、それが破れ目にもつながり、マインド・コントロールが解けてしまう
エホバの証人の教理は、中学生程度の読み書きができれば、矛盾だらけであることがすぐに分かる。
聖書に「統治体を作れ」とは書いていないし、「ハルマゲドンやキリストの到来を謳う奴は偽予言者だ」と書いてある。エホバの証人の統治体こそが偽予言者なのは明らか。
それらに目をつぶり、「エホバの証人の宗教本に書いてあることは、解き明かされつつある真理なんです。人間の統治体が間に入るので、真理の解釈が間違うことがありますが、信じていれば間違いありません」
この詭弁だけで信者を従わせようとする抜群の安っぽさ。エホバの証人の自称「真理」が間違いない証拠もなければ、人間「統治体」を経由しなければならない必然性も証明されない。真理なのに間違うことがあり、真理がコロコロ変わるその心は?
マインドコントロールを維持するための方法も、拉致監禁とか荒っぽい周到なものではない。インターネットや世間に出回る、エホバの証人にとって都合の悪い情報を禁止するだけ。
禁止といっても強制力のある方法ではない。それら有害情報はサタンの罠だと恐怖心を煽るだけ。万が一に目にしても、それらはサタンの罠でエホバの証人を「騙す」ための嘘情報だと「騙されて」いる。
エホバの証人が、こんなにユルユルの激安マインドコントロールから抜けられないのは、もはや信者の個人的素養によるのではないかとも思う。しかし、明石の場合はエホバの証人の教理の大矛盾の痕跡が、安っぽいマインドコントロールの破れ目となった。
この破れ目に至るきっかけ、「極限状態とエホバの証人情報の遮断」を、現代日本でいかに再現するか?この点を明日の記事で。
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