「灯台社」明石順三の結末
『近現代日本とエホバの証人』より。第二章「灯台社の時代」後半。
日本にエホバの証人を輸入した明石順三だが、戦時中に「思想犯」として懲役刑に。戦後、釈放されエホバの証人の世界本部と再接触。
釈放後の明石は、世界本部から送られたものみの塔本に対して疑念を抱く。そして、7つの公開質問状をものみの塔会長宛てに送付。質問の内容は、ものみの塔の非正当性を問う内容。
結果、明石の質問に対して堂々たる回答があったり、お互いの着地点を探る話し合いがあったりということはなく、ものみの塔世界本部側は明石を黙殺の上、除名。
ものみの塔は組織崇拝者の組織なので、この結果は当然。今も昔も変わらず。
盲目に崇拝されるべき組織を、正当に批判されるのはものみの塔にとって抜群に都合が悪い。ものみの塔が必要としているのは正義感のある賢い自主的な人物でなく、無自覚にただひたすらものみの塔という偶像を崇め奉る人物。
ものみの塔の普遍の「真理」は今なお解明中
明石がエホバの証人組織を糾弾した7つの公開質問状。ものみの塔がいかに反聖書的であるか問うもの。信者の自由を奪うカルト性であったり、組織拡大のための独善性を指摘しているのだが、それらもとどのつまりはものみの塔組織が聖書に沿ってない点の列挙。
一番面白い質問は
(四)総本部の指導方針は聖書から外れ、安直なる自慰的位置に安住しつつある
なかなかここまで言えないものだけど、盲目信者をおかずにしてやがて100年、ものみの塔のマスターベーションは絶賛継続中。
「預言ハズシても信者減らねぇっす」という麻薬中毒のものみの塔
質問(一)が意味深で
(一)過去10年間、聖書真理の解明に進歩がみられない
2000年かけて解明されなかった聖書真理が、たまたま自身が生きている10年間で明らかになるというのは都合が良すぎる。しかし
明石は、ラッセルやラザフォードの「預言」が外れたことにも納得しており、徐々に全体像が明らかとなる朝の「光」のように「聖書の真理解明」が進展すると考えていた。こうした考え方は、ほかでもなく予言の失敗と修正を繰り返す中で世界本部が提示していたものであった。
と本書は指摘している。つまり明石も騙されていたということになる。この詭弁「朝の光」こと増し加わる「新しい光」トリックは@現代のものみの塔も多用中。当時から全く変わっていない。
戦前から現代、つまり今この時まで一貫して、ものみの塔の「真理」は常に解明中。そんなもの真理ではなく、ただの予測なのだが。しかも150年間ただの一度もあたらない不正確な予測。この姿勢は戦前から全く変わっていない。
予言に関するものみの塔の本質が変わったのではないとしたら、変わったのは明石の側。収監され、解放されたら戦争が終わっていた。そして久しぶりにものみの塔本を読んだら、「ナニコレ?騙しの真理じゃん。こんなモノ真理ではない」と気付いた。
ここに、エホバの証人解放のヒントがあるのではないかと考えた。続きは明日。
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