エホバの証人の洗脳からの覚醒体験、そして絶望せよ

エホバの証人からの覚醒の瞬間

『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』

元エホバの証人2世信者の脱会本。絶版なので、読むなら中古で。

著者の洗脳解除の瞬間、覚醒と表現されている。頭の中にこの文字が現れたという。

「オマエハ シュウキョウノ センノウカラ トカレタ」

この作者の場合は極端だが、洗脳が解ける瞬間というのは、私にとっても分かりやすい体験だった。

洗脳からの覚醒体験の現れ方は、本人の趣味嗜好によるところが大きいと思われる。著者はSF系の映画や漫画が好きで、それらに影響されている所があるのだろう。

エホバの証人の洗脳解除覚醒の瞬間

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脱会エホバの証人の、現役信者を喜ばせない生き方とは・・・

暴走しがちなエホバの証人

『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』

元エホバの証人の2世信者が書いた脱会本。絶版なので読むなら中古で。

作中で、若い信者が、エホバの証人を脱会してホストになったというエピソードがある。

宗教から離れた二世というのは、常にどこかでエホバを裏切ったという罪悪感を感じている。だからこそ極端に反対の方向に暴走してしまう

脱会者がものみの塔と反対の方向に暴走してしまうというのは同感。私も暴走してパチプロになった時期がある。

エホバの証人らしくない生き方とは

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エホバの証人のマインドコントロールを、wikipediaで解除する

wikipediaを操作するエホバの証人

エホバの証人とwikipedia

エホバの証人がwikipediaで情報操作している件。wikipediaを書き換えているエホバの証人とやり合って、論争には勝利。しかし、その途端、相手のエホバの証人が質問に答えなくなった。であるのに、自分の都合の良いようにwikipediaそのものは書き換えてくる。これが前回までの話

相手のエホバの証人は、議論は無視、自分の主張だけ通し、質問しても「既に議論済」の一点張り。その議論でお前、やり込められてるんだけど・・・

この独善的態度・偏狭的姿勢はものみの塔そのもの。マインドコントロール下のエホバの証人らしい。wikipedia上で助け舟を出してくれている人も出てきたので、粘り強くやり続けるしかない。まずはこの情報操作を行っているエホバの証人のマインドコントロール解除を。

エホバの証人のマインドコントロールの項について、論争していたのだが、輸血拒否の項にも着火してみるかと思い付き、輸血拒否の項を読んでみる。

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エホバがカルトでないと思っているのは、エホバの証人だけ

自身がカルトだと気づいていないエホバの証人

エホバの証人が情報操作するwikipedia

エホバの証人のwikipediaがエホバの証人によって改ざんされている件。真実の姿に書きなおしているあいだに、エホバの証人側から警告を受け、論争に発展。wikipedia書き換え担当のエホバの証人と毎日やり取りする仲になる。

先方はものみの塔論理テクニックを駆使してくるので、ダラダラと話が進まない。論点を一点に絞って攻撃。無回答になったので、論争には勝利目前。

ちょっとした逃げ道を残しつつ追い込もうと思ったのだが、結果的に完全に追い込んでしまった。ここは反省。

目的はエホバの証人との論争に勝つことではなく、この仮想エホバの証人の脱会と、wikipediaを真実の姿に戻すこと。wikipediaには論争の流れと過去の変更履歴が残る。エホバの証人っぽい人物が情報操作していたことが記録として残るのは好ましい。

前回までの流れはこちら

エホバの証人との論争に勝つ方法

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エホバの証人が操作するwikipedia、背教者と交わるエホバの証人

背教者と交わるエホバの証人

私はエホバの証人にとって背教者なのか?

エホバの証人のwikipediaがものみの塔仕様に捻じ曲げられて変更されている件。

当方としては黙っておれず、真実の姿に書き換える。それを先方の仮想エホバの証人が書き換えるというイタチごっこ。そこから、wikipediaを操作する先方の仮想エホバの証人と双方向のやり取りに発展。一日一回は論戦を交わす仲良し?に。

今考えていることは、私が背教者であることを明かした方が良いのか?ということ。

私は、自分からエホバの証人になったわけではない2世信者だったので、背教者であるつもりはない。腐ったカルトに受けた被害をキッチリお返しすることと、ものみの塔が存在しない正しい世界に戻したい。という方針で活動している。

もともと従うつもりはなかったので、ものみの塔に背いていると言われる筋合いは無い。とはいえ、エホバの証人の立場から見ると背教者であることは確実。

エホバの証人は背教者と交わることを禁止されている。であるなら、私が背教者であることを、wikipediaを書き換えている仮想エホバの証人に明かした方が良いのではないか。明かすのがフェアなのではないかと考えた。

wikipedia担当の仮想エホバの証人との、ここまでのやり取りは前回の記事

私は未だにエホバの証人に洗脳される危険があるのか?

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エホバの証人がマインドコントロールされていると言える理由

マインドコントロール下のエホバの証人

wikipediaを操作するエホバの証人と議論中

エホバの証人のwikipediaが、ものみの塔にとって都合よく書き換えられている話。書き換えている仮想エホバの証人と双方向で議論を進めているのだが、話が進まない。理由は、相手がものみの塔の論理テクニックを多用してくるから。

前回までの話は、命より重い金をむしり取ろうとするものみの塔協会

質問しても、全く違うことを言ってきたり、そもそも都合の悪い指摘はスルー。故意でないとすれば、深ーいマインドコントロール状態にあるため、都合の悪い情報はシャットアウトする思考回路になっている。

現在はエホバの証人がマインドコントロールしている・していない論争中。このエホバの証人の脱会を押し進めるべく、粘り強くやっているのだが、私はせっかちなので、我慢できなくて双方向のやり取りで書きすぎる傾向がある。

書きすぎると向こうの思うつぼで核心部分はスルーされやすいし、ものみの塔論理テクニックの「すり替え」が使用しやすくなる。指摘・回答できそうな所だけ返信してくる。

よって、我慢して我慢して、短文かつ論点は一つ。一文ずつものみの塔がカルトであることを証明していくことにしている。するとフラストレーションが貯まるので、ここで書きたいことを書くことにする。しかもwikipediaは百科事典なので、個人の意見はズバリ書けない。ここで書くしかない。

マインドコントロール用のエホバの証人の新世界訳聖書

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エホバの証人から、命より重い金をむしり取るものみの塔

命や人生まで奪われるエホバの証人

エホバの証人とのwikipedia論争

エホバの証人のwikipedeiaが、ものみの塔に都合よく書き換えられている件。書き換え担当の仮想エホバの証人と双方向のやり取りに発展。ものみの塔協会はエホバの証人をマインドコントロールしている・していない論争中。

「エホバの証人は、聖書の聖句から自分の行動・信念を説明できるのでマインドコントロールされていない」というのが先方の主張。自分の頭で考えて説明できるので、マインドコントロールされていないということ。

それに対して、まず「聖書を盲信しちゃダメ、聖書に依存しちゃダメだよね」という話が前回。聖書を濫用しているものみの塔のせいで命を落としますよ。

人間の無限の可能性を否定するエホバの証人はカルト

輸血拒否で実際に命を落とした場合は分かりやすいが、今でも王国会館に通い続けているエホバの証人も命を失っているに等しい。生きているような顔をしているが、自身の自由意志を持たないので死んでいるも同じ。人間未満。王国会館で取って喰われるだけの家畜。

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進化論を否定するエホバの証人の態度から読み取れる偽善体質

進化論を否定するエホバの証人の本性

エホバの証人の偽善体質

エホバの証人は進化論を徹底的に否定する。人間は聖書に書いてあるとおりに神が創造したと主張している。インテリジェント・デザインとか何とか格好の良いことを言って、神による人間の創造を主張している。

神が人間を創造したかどうかなど、証明しようのないことなので、どうでも良い。しかし、エホバの証人は絶対に譲らない。証明のできないことだけに、自身の主張が絶対に正しいと言って引き下がらない。

進化論・生物学の権威であるチャールズ・ダーウィンなどは、エホバの証人から目の敵にされている。

ものみの塔の宗教本では、ときおり辞典や学者の著作物から引用があり、それらの権威を笠に着て、自身の主張を正当化している。

しかし、ダーウィンのように自身の主張と異なる者については、いかに一般的な権威者であろうと批判の対象になる。(ダーウィンは、祖国英国では功績が認められ、英国国教会ウェストミンスター寺院に埋葬されている)

これが、

都合の良いところだけ、世俗の評判を持ちこむものみの塔戦術。そして、都合の良い箇所だけを切り貼りするものみの塔の恣意的引用。これがものみの塔の偽善体質。

このブログは圧倒的な背教者ブログ。

しかし、どこかの一文を「エホバの証人は上位の権威に服し、隣人を愛するようにものみの塔協会に指導されている真面目な人たちです」のようなエホバの証人肯定にしたとする。

すると、その一文を恥ずかし気もなく引用する。元エホバの証人2世でもこう言っていますと。これがものみの塔の恣意的引用。

合掌しないエホバの証人の祈り方から伺えるものみの塔協会の二面性

人類を創造した神こそ、人類の想像の産物

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元エホバの証人2世の友だちや幼なじみ、消滅した友人関係

元エホバの証人の幼なじみ

消滅するエホバの証人の友人関係

私は、ほぼ生まれながらにエホバの証人2世として育てられた。両親はともに狂信的なエホバの証人だった。私が幼い頃は、大都市の郊外に住んでいたのだが、9才のときに家族で田舎へ引っ越すことになった。

私はド田舎の中学校に通っていたのだが、同学年にエホバの証人2世が私を含めて3人もいた。我々エホバの証人2世の3人は、ものみの塔が禁止している学校の行事などには参加しないというスタンスで足並みを揃えていた。

しかし、私は中学2年生のときに自分の意志でエホバの証人をやめる。私がエホバの証人をやめたことで、他の信者の2人との交流は無くなった。

もともと、お互いにエホバの証人だったという理由でつながっていただけの関係。誰かがエホバの証人をやめればその関係は消滅する。

エホバの証人をやめることで教団の人間関係はほぼ全て失われる。むしろエホバの証人をやめる側の私からすれば、気味の悪い新興宗教団体に属している人間との接触は避けたい。カッコ悪い奴らとつるんでいるのは、もううんざりだった。

また、エホバの証人関係者に関わると、自分のエホバの証人2世という暗い過去を思い出すことになる。それも望ましくない事態。

エホバの証人2世という暗い過去は、隠したい事実で触れられたくないこと。この頃の私は、自分のエホバの証人という過去を知る人間とは一切顔をあわせたくなかった。

かつて友達だったエホバの証人たちをやめさせるには

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”ふさわしい”、”ふさわしくない”の二択で決めつけるエホバの証人

もっと思うがままに生きればいいエホバの証人

「ふさわしくない」というおぞましいエホバの証人ワード

エホバの証人をやめた後はもちろん、やめる前にもエホバの証人的思考から抜け出す必要がある。エホバの証人的思考とは、かくあるべき、こうあるべきという固定観念。

エホバの証人風に言うと”ふさわしい”、”ふさわしくない”の二択。

この”ふさわしくない”という言葉ほどおぞましい言葉はない。「エホバの証人にとってふさわしくない」、この言葉で私は何度も一刀両断にされてきた。

友達と夏休みにキャンプに行きたい。友達の家で映画を見たい。少年野球を始めたい。そんな子どもの望みが、「エホバの証人にとってふさわしくない」の簡単な一言で切り捨てられる。

そう制限されているうちに、エホバの証人2世の子どもも、かくあるべきというモデルプラン、ステレオタイプに陥りやすい思考になっていく。ものみの塔による洗脳の成果。

この思考停止状態は、ものごとを深く考えなくて良いので楽。

エホバの証人をやめたあとの思考方法

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