聖書に「エホバ」は出てこない
インターネットでダウンロードしたエホバの証人解約資料を読んでいる。
第6弾「原理主義者の限界」「どんだけ異教徒?」の項目より。
ここに衝撃の事実が書かれている。
ギリシャ語の写本には一切「エホバ」という名前はでてこない
ものみの塔の翻訳した
新世界訳聖書が勝手に差し替えている
ギリシャ語聖書、つまり新約聖書の写本に神の名前は一切出ていない。ところが、ものみの塔の翻訳した新世界訳聖書では、神の名前が「エホバ」に差し替えられている。自らが「エホバの証人」と名乗りたいがための越権行為。神の名前を予測して置き換えるという冒涜。
こうなると、もはや「エホバの偽証人」。証人にはなり得ない。旧約、新約聖書共通のエホバという神の存在はエホバの証人による創作。エホバの証人の「エホバ」設定そのモノがものみの塔が創り出した架空の存在。
罪深い新世界訳聖書
聖書の聖句を自己都合で勝手に書き換えることは許されない。聖句に反すること。しかも、最も重要かつ神聖な神の名前が改ざんされたのが新世界訳聖書。新世界訳聖書そのモノが重罪を背負っている。
その罪深い新世界訳聖書を用いているエホバの証人も無意識的に罪深い。根源が悪である新世界訳聖書を読むこと、持つこと、研究すること。架空の神「エホバ」を崇拝すること、これらがエホバの証人に悪影響をもたらす。
エホバの証人の多くが心身共に病むのは、罪深い新世界訳聖書の使用が一因。根源的に罪を犯しているから。聖書の改ざん、神の名前の改ざん、神の名前の冒涜。
こんな罪深い集団に属することが、救いになり得るはずがない。「エホバの証人」と名乗っている、その名前じたいがニセモノであり、神の名の冒涜。よって、エホバの証人にまつわることすべてが救いにならないと考えるべき。
名は体を表す。「歴史改ざんグループ」と名乗った集団が正しい歴史を研究できるはずがない。エホバの証人がまさにこれ。エホバそのものが神の名を偽り冒涜するモノ。
とはいえ、多くのエホバの証人はこの事実を知らない。知らぬ間に罪を重ねている。知らなければ無罪というわけではないが、まだ罪は軽い。しかし、この記事をここまで読んだからには知らなかったでは済まない。
ここまで読んだエホバの証人のかたへ。自ら罪の意識を背負ったまま罪深い新世界訳聖書を読みますか?邪悪な新世界訳聖書を燃やし、エホバの証人をやめるべきは今。せめて、エホバの証人脱会の決断をすべきは「今」。
エホバの証人をやめるべきときは異なれど、やめる決意をするのは「今」
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