BC607年でない証拠が揃っている
エホバの証人の論理的アキレス腱「BC607年エルサレム陥落」を潰す。
本日の記事は、jwstudyのこの記事を参考にさせて頂いている。
2011年10月号のものみの塔『古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか ― 第1部』によると、
プトレマイオスの王名表は,一般には正確なものとみなされていますが,幾人かの王が省かれていることからして,実際に年代を割り出すための確かな根拠にすることはできません
という大噓が掲載。
バビロンの王名表にアッシリア王の名がないと難癖をつけるものみの塔
一方、1981年発行のものみの塔本『王国が来ますように』では、
ナボニドスのハラン石柱(NABON H 1,B): 同時代のこのステラ,すなわち碑文の刻まれた石柱は1956年に発見されたもので,ネブカデネザル,エビル・メロダク,ネリグリッサルなど新バビロニアの王たちの統治について記している。この3人に関係した数字はプトレマイオス王名表のそれと一致している
ナボニドスのハラン石柱とプトレマイオスの王名表、一致してるじゃん。証拠が揃っているわけで。他にも、天文学関係の粘土板「VAT4956」、商業用粘土板と。エルサレムが滅ぼされたのはBC587年で確定している。
間違っているかも知れないことの否定?
“間違っているかも知れないことの否定?聖書やものみの塔は間違ってるだろ。” の続きを読む