イエス・キリストの一つの解釈
電子書籍版で読んだ一冊『仁義なきキリスト教史』。時代ごとに物語として成立しているので読みやすい一冊。
神ヤハウェからローマ・カトリックに至るまでのキリスト教史を、任侠道に当てはめてなぞった本。ユダヤ教からイエス・キリストを経て、キリスト教となって世界中に広がる歴史が描かれている。
神ヤハウェは大親分、キリストも任侠の人として描かれているので、エホバの証人にとっては衝撃的な内容。宗教は一つの道であり、任侠道も同じく道なのだが、この本は劇薬、毒薬の類。ショック療法として役に立つ。
エホバの証人は、キリストや神を聖人君子扱いしすぎている。キリストは世界の歴史に名を残し、宗教史を変えた英雄であることは間違いないが、それだけの存在。所詮はただの人、ナポレオンやアレクサンダーと同じかそれ以下。
イエスが自らをキリストと考えていたかどうかは、どの写本を重視するか、という問題にも繋がってくる
これは書中で繰り返し書かれていることだが、この本でのキリストの解釈の仕方は
あくまで数多ある解釈の一つに過ぎない
と作者自らが述べている。
愛の無いキリスト教と破壊神エホバ
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