詩編22篇の予言成就のトリック
昨日の記事の続き。聖書の詩編22篇がキリストの到来を予言していたとされている件。
詩編22:18。エホバの証人の新世界訳聖書から。
「彼らは私の服を分け合い,私の衣服のためにくじを引く」
今日はChatGPT先生に聞いてみる。
「詩編22:18の予言がキリストに成就したとされていますが、これが何らかのトリックだとすると、どんな可能性がありますか?」
聖書のダニエル書、アレクサンドロス大王に関する予言はハズレている
詩編22:18(日本語聖書の詩編22:17)は、キリストの磔刑の場面と関連付けられて解釈されることがあります。この節は、「彼らは私の衣を分け合い、私の衣服のためにくじを引きました」(新共同訳)とあります。これが新約聖書の福音書に記されたイエスの磔刑の場面と一致しているため、予言が成就されたと考えられています。しかし、もしこれが何らかのトリックであるとしたら、以下のような可能性が考えられます:
後付けの編集:
新約聖書の著者たちが、詩編22の予言に合致するように、イエスの磔刑の詳細を編集した可能性があります。この場合、福音書の記述が詩編に合わせて作成されたということです。巧妙な演出:
イエスやその支持者が、詩編22の予言を成就させるために、意図的に特定の行動を取った可能性があります。例えば、磔刑の場面で兵士たちがくじを引くという行動が意図的に演出されたとしたら、予言を成就させるための策略の一環と見ることができます。後世の解釈:
後の時代のキリスト教徒が、イエスの生涯の出来事と旧約聖書の予言を結びつけるために、意図的に関連付けた可能性があります。つまり、出来事が実際に一致したのではなく、後の解釈や伝承の中でそう見なされるようになったということです。テキストの影響:
詩編22が当時の一般的なメシア的期待を反映していた場合、それに影響を受けた人々が、イエスの出来事をその期待に当てはめる形で伝えた可能性もあります。つまり、詩編22がメシアに関する一般的な期待を形作っており、それに沿ってイエスの物語が伝えられたという考えです。これらの可能性は、歴史的およびテキスト批判的な視点から考察されるべきものであり、予言の成就としての信仰的理解とは異なる視点を提供します。
キリストがこの予言を意識して、わざと高い服を着ていたとかもあり得る。そりゃ兵士はくじ引くだろ。
兵士がキリストの服をパクっている瞬間の目撃者なんてごく少数だろうし、その場でくじ引きしていなくても、後で隠れてくじ引きしたという設定にしてしまえば良い。何とでもなる。
兵士が大衆たちの前で「何だよ。この服汚ねぇな」って踏みつけて燃やしたりしなければ良いだけの話。それを鑑みて、キリストはあえて分不相応な服を着ていたとか。
あと、兵士にしても無意味な民族的諍いに巻き込まれたくない。巻き込まれたくないけど、高級布は欲しいと。そりゃコッソリ持ち帰る。目撃者がいない分、聖書筆者にしてみれば書き放題。なんとでもなる。
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