ゼカリヤ君が遠ざけるエホバの証人だけが固執するエルサレム陥落BC607年

聖書がエホバの証人の欺瞞をあばく

エホバの証人の論理的アキレス腱、BC607年エルサレム陥落を崩す。昨日までの記事の続き。

エホバの証人が持ち出してくる定番が、次の論理。

  1. BC538年~537年にイスラエル人をエルサレムに帰還させる「キュロスの勅令」が出た
  2. 聖書によるとバビロン捕囚の期間は70年
  3. だからBC607年エルサレム陥落

今日は、この聖書の記述の70年を使って、エルサレム陥落がBC607年でないと言える点を示す。

ゼカリヤ書の1章から。ゼカリヤ君はけっこう使える奴でこんな聖句もある。

ダリウスの治世の第2年(ゼカリヤ1:7)

「大軍を率いるエホバ,あなたはいつまでエルサレムとユダの町々に憐れみを示されないのでしょうか。この70年間,あなたは憤っておられます」(ゼカリヤ1:12)

エホバの証人の用語辞典的な『洞察』によると、ダリウスの治世の第2年はBC520年。

BC520年の70年前はBC590年。一般的に言われているエルサレム陥落BC587年に近い。たったの3年ズレ。

エホバの証人だけが頑なに固執しているBC607年だと87年前。聖書が述べている70年とはだいぶ違うね。17年も違う。

さらに、ゼカリヤ7章。

ダリウス王の治世の第4年(ゼカリヤ7:1)

大軍を率いるエホバが再び私に言った。「この土地の民全てと祭司たちに言いなさい。『あなたたちは,70年にわたって第5の月と第7の月に断食をして泣き叫んだ時,本当に私のために断食をしたのか」(ゼカリヤ7:4-5)

ダリウス王の4年目は、エホバの証人の洞察を参考にするとBC518年。70年前はBC588年。一般的に言われているエルサレム陥落BC587年に酷似してくる。

遠ざかるエホバの証人だけが固執するエルサレム陥落BC607年。聖書がエホバの証人の欺瞞をあばくわけで。

あと「大軍を率いるエホバ」って何なの?めっちゃダサいんだけど。

本記事執筆にあたって下記サイトを参考にしました。丁寧なまとめに感謝いたします。

エホバの証人研究 結論3 - 誤解された聖句


“ゼカリヤ君が遠ざけるエホバの証人だけが固執するエルサレム陥落BC607年” への1件の返信

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください