エホバの証人の行動すべてが悪事に収束する理由とは?

ものみの塔はニセモノで、重罪を犯している

常々書いていることだが、「ものみの塔=ニセモノ」。ものみの塔は決して真理への唯一の経路などではない。ニセモノが導くのは奈落の底への一直線。聖書にも書いてある。盲人が盲人の手を引くとどうなるか?

ものみの塔がニセモノである根拠は下記記事を参照。

エホバの証人の産地偽装問題

ものみの塔が主張する「創造者の約束」にムリがあるワケ

ものみの塔が盲人だとしたら?本人には悪気がなく、盲目のためエホバの証人たちを地獄へ道連れにしている。であるとしても、罪深い。悪意が無ければ何をしても良いわけではない。

良かれと思い、公金を横領して生活困難者にばら撒きました。良かれと思い、不正を行った政治家を襲撃しました。そんなことが許されるはずがない。

自らを真理と偽るものみの塔は、悪意の有無は別としてエホバの証人を欺いている。信者を騙し、人生を無意味なモノにせしめるのは罪。よって、ものみの塔は重罪を犯している。

エホバの証人の活動はすべて悪事

エホバの証人はものみの塔の言いなりになっている。生活態度や人生における優先事項まで、何もかもをものみの塔の言いつけどおりに守る。

エホバの証人は、罪深いものみの塔の手先になっている。であればエホバの証人の行動も罪深い。エホバの証人の活動はすべて悪事に収束する。

以下の一見、良さそうな行動様式や活動もすべて悪。

エホバの証人の信者間の思いやり、おすそ分け(今でもあるのか?私の子どもの頃は日常茶飯事だった。他人の家の食事が嫌いになったのはこれが原因。他人の服とか貰うのも嫌だった)。

エホバの証人信者の特質とされる、表面的な優しさ、もの静かさ(例外として、正反対の性格の悪い信者も多く存在する)。

こういった表面的な好印象・好事象に引かれると、エホバの証人に勧誘されてしまう。もしくはエホバの証人を続ける要因の一部になる。ならば、これらの表面的に良好なモノは、エホバの証人が持たらす以上はすべて悪事。

目的が悪なら、手段はすべて悪事である。ゴールが悪なら、悪のゴールへ導かれる手段はすべて悪。エホバの証人の目的は信者の勧誘に他ならない。ならばエホバの証人の活動、生活様式、生き方すべてが悪。

何と虚しいことか。この解決は簡単。目的を変えること。

人生の目的をものみの塔の外に向けるだけでいい。人生そのものを悪に染める状態から足を洗える。

最初は些細な目的で良いし、自己中心的な目的で十分。お金持ちになりたいとかで全然いい。「エホバの証人を増やしたいー」よりは数千倍マシ。

あなたが経済的に成功しお金持ちになることは、世の中を良くすることにつながっている。詐欺とかしない限りは。どうせ詐欺だけじゃお金持ちにはなれない。こんな事例は聖書にいっぱい載っているでしょ。

真っ当な商売をしてお金持ちになることは不浄なことではない。人が喜んだ対価としてお金が入ってくる。

「私と私の家族が幸せになりたい」でも十分。エホバの証人である以上、家族を幸せにすることはできないから。あなたがエホバの証人をやめて幸せになることは周囲に良い影響をもたらす。あなたの幸福は家族、親族、同僚、社会へと広がる。

エホバの証人はエホバの証人でない家族を愛することができない

ものみの塔の外に目的を設定する。これは最初は自己中心的なモノで構わない。その時点で大きな一歩。エホバの証人という悪事から足を洗えるのだから。


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