エホバの証人が、wikipediaをものみの塔に都合良く書き換えている

エホバの証人によるwikipedia書き換え

エホバの証人によるウィキペディアの書き換え

エホバの証人のwikipedia。昨日の記事で、バビロン捕囚について調べたのをきっかけに、他にも調べてみる。

wikipediaは、エホバの証人によって、ものみの塔に都合の良いように変更されている箇所がありそうだ、と睨んだため。

wikipediaは誰でも変更できるので、エホバの証人によって書き換えられた部分を正しく直して周る。

まず、「エホバの証人」のページ。
エホバの証人のwikipedia

とりあえず最初の方で、エホバの証人は「ボランティア団体」となっていたので、「宗教法人」に訂正。本当は「カルト教団」にしたいところなのだが・・・。

wikipedia「エホバの証人」の項目は、至るところでものみの塔に都合良く変更されている。

エホバの証人の性的児童虐待

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エホバの証人の1914年の教理が間違っている理由

バビロン捕囚607年の嘘

ものみの塔が主張する、バビロン捕囚607年がそもそもの間違い

エホバの証人の教理では、1914年にこの世の「終わりの時」が始まったとされている。1914年にキリストが天で即位し、悪魔サタン一派が地上に追放された。そして、間もなくハルマゲドンというこの世の事物の体制の終わりが到来する、とされている。

ものみの塔の教理では、元々1914年にハルマゲドンが起こることになっていたのだが、当然そんなことは起こらなかった。そこで、ものみの塔は予言解釈を変更。1914年「ハルマゲドン」から「キリスト即位+終わりの時の始まり」へとこじつけ変更。

1914年という年は、エホバの証人にとって重要な年代。1914年に終わりの時が始まり、1919年にエホバの証人が正しいクリスチャンだと神により選別された設定にされているから。

1914年の教理の大筋は以下。

エルサレム崩壊(西暦前六〇七年)⇒

異邦人の時(七つの時)(二五二〇年)⇒

終わりの時(西暦一九一四年)

『ドアの向こうのカルト』より

この本の著者も指摘しているのだが、2520年の計算そのものがアクロバティック。聖書のそこら中から引っ張ってきた飛躍とこじつけ。それでも、聖書を次から次へと開いて説明されると納得してしまう向きもある、と著者は書いている。

しかし、そもそものエルサレム崩壊が西暦前607年ではない。エルサレム崩壊のバビロン捕囚が始まったのが607年だと主張しているのは、エホバの証人だけ。考古学的には西暦前597年とか587年が正。

このため、2520年とかどうでも良くて、出だしの607年が間違っているので、1914年が終わりの日の始まりという、ものみの塔の教理そのものがデタラメ

1914年の嘘と1995年の冗談

バビロン捕囚のwikipedia

wikipediaでバビロン捕囚について調べてみると、面白いことを発見した。以下の記事。

wikipediaのバビロン捕囚

私がここを見た時、バビロン捕囚の始まりは607年と書かれていた。変更の履歴には、

587年の表記をあえて607年に書きなおした履歴があった。エホバの証人の誰かが書きなおしている

ものみの塔の新世界訳聖書と同じ。都合の悪いことは捏造して書き換えてしまう。

このwikipediaのバビロン捕囚の記事は、私がきっちり607年から587年に戻しておいた。

ものみの塔の起死回生の打開策はエルサレム陥落BC607年をBC587年だと認めること


カルトの見極め方と、カルトに騙されない方法とは・・・

カルトの特徴とは・・・

カルトの見極め方

自分たちと競合する集団を完全否定している組織があれば、それはカルト。外部を批判し、攻撃することで内にこもる。そして外部からの情報を遮断することで内部の人間をマインドコントロールする。

その集団の価値観こそが全てであり、他のモノはすべてまやかしであるとマインドコントロールする。その集団の一体感に心地よさを感じると、外部情報を制限され、自身の属する集団の異常さに気づけなくなる。

親の愛情に飢えていたり、精神的に問題を抱えている人は、カルトの罠にはまりやすい。自分自身の欠落を埋めてくれる気がするカルトの一体感に抱かれて、騙されてしまう。

カルトに騙されない方法

カルトに騙されない方法がある。複数の組織に属すること。複数組織への在籍認めない排他的な組織はカルト。そんな組織からはすぐに逃げ出そう。

会社と地域、子どもの学校といった複数のコミュニティに属する。それにプラスして、何かの宗教団体に属したければ属せばいい。私はエホバの証人というカルトで懲りているので、宗教はまっぴらだが。

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子育てを間違った、エホバの証人のダメ親のやり直し方

エホバの証人親のやり直し方

エホバの証人親の間違った教育方針

私の両親は、ものみの塔協会の言うとおりに私を育てていた。そして、その子育てが、完全に絶対に間違いのない方法だと信じ切っていた。理由は、ものみの塔のマインドコントロール下にあったから。

両親は、エホバの証人でない親戚やクラスメイトの親について、あからさまに批判することがあった。判断基準は、ものみの塔の指導する方針にのっとっているかいないか。たったそれだけ。

現在の私が、実際に育児をしていて考えるのは、子育てに正解などないということ。子どもにとってそれぞれ適切な手段があるし、親の経済・精神状態にもよる。逆に、

何も考えず、ものみの塔の言うとおりに子育てしていれば大丈夫、というのは軽率。安易に安心できて楽なので、マインドコントロールされている信者はこの状態を心地よく感じる

エホバの証人の鞭という体罰は、有害でしかない

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エホバの証人をやめたあとの反動、自由な生き方とは・・・

元エホバの証人2世の本当に自由な生き方とは・・・

禁止事項の多いエホバの証人2世の反動

私は14才の時に自分の意志でエホバの証人をやめた。しかし、その後の人生は停滞することになった。その原因は何だったのか考えてみた。

エホバの証人2世だった頃は、過剰に抑制されていた。あれもダメ、これもダメ。すべてものみの塔の戒律に従って制限された。テレビも見られなかったし、ゲームは絶対ダメ、男女交際なんて永遠に禁止だった。

エホバの証人をやめて、その制限から自由になった。すると私は、何もかもを手に入れたいと思い始めた。何でも手に入れなければならない。ナンバー1にならなければならない、という思いに駆られる。

ありとあらゆるテレビ番組と映画を見なければならないし、本もゲームをあらゆるジャンルのモノをすべて見なければならないと考えていた。それには余りにも時間が無かった。

しかし、何もかもを手に入れ、1番になるなんてことにこだわる必要は全くない。ある程度のモノをがあれば充分だし、頂点に立つ必要もない。

なぜなら、

今までが無さすぎた。制限されすぎた。エホバの証人であると蔑まれ、疎まれてきた。それの状態から自由になれば、充分に楽しい人生を送れる

自意識過剰な元エホバの証人2世の脱会後

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厳格に管理されるエホバの証人の子ども、サバイバルしたのは奇跡

偶然、サバイバルしたエホバの証人2世

禁止事項の多い、エホバの証人の子ども

私が子どもの頃、何をするにしても両親の許可が必要だった。両親の許可と言っても、両親自身の裁量ではなく、ものみの塔の教理によって判断された。

わが家は、エホバの証人というカルト宗教の完全マインドコントロール下にあった。

小学生くらいの年齢になると、エホバの証人の2世信者は、ものみの塔の教理を頭に叩き込まれる。

そのため、サバイバルゲームがしたいだとか、友達と初詣に行きたいなどと言い出すと、親にこっぴどく怒られる。明らかにものみの塔の教理に反しているから。親に聞くまでもなく、自分でNGと判断してしかるべきということ。

エホバの証人は戦い・戦闘系が一切禁止。他宗教に関わることも厳禁。クリスマスだとかバレンタインといった、楽しい行事のすべてが禁止だった。

微妙な判断が必要なことについて、両親に許可を求めることになる。地域の行事であるキャンプに行きたいとか、このテレビ番組が見たい、そういったこと。

学校外の任意参加の行事について、私の親からは基本的に許可が出なかった。両親は、この世の人々との交流は不必要で悪影響をもたらすと思い込んでいた。これは、ものみの塔の指導の影響。

そのため、任意参加の行事への参加は、エホバの証人の教理に反していなくても、ほとんど認められなかった。

エホバの証人の親によって禁止されるテレビ・音楽

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学校や職場での証言で、心が死んでいくエホバの証人

心が死んでいく、エホバの証人

学校生活がストレスになるエホバの証人の子ども

エホバの証人2世の子どもは、進級の都度、新しい担任の先生に自分がエホバの証人であること告げなければならない。給食のときに合掌できない、国歌や校歌が歌えない、各種行事が禁止など、学校生活全般に支障がでるから。

これは、エホバの証人用語で証言と呼ばれている。

禁止事項の多いエホバの証人2世の学校生活は苦難の連続~エホバの証人のできないことまとめ

これは子どもにとって大きなストレス。私も、4月になって担任が変わるのが本当に嫌だった。面倒くさい先生だと話が長引くし、なかなか納得して貰えない。子どものことを本気で考えてくれている先生もいたのだろうが、

「本当はどうしたいのか?エホバの証人の教理を守りたいのか?」と聞かれても、エホバの証人の子どもにしてみれば、本心を明かせるはずがない。

本当は七夕飾りを作りたいと言おうものなら、親に体罰を受ける。

エホバの証人の子どもは教団の洗脳下にあるので、エホバの証人の教理に反対する学校の先生は悪魔サタンの手先だと信じ込んでいる。そうそう簡単に心は開けない。

学校の先生は、エホバの証人の子どもに対して下手に教育的指導をするよりも、家庭での体罰の証拠、その他児童虐待の証拠を掴んで児童相談所に通報するなどの対応をした方が手っ取り早い

もしくは、人生を楽しむことの有意義さを身をもって示すか。子どもは本質に気づきやすい。言葉でなく生き様を見せるしかない。

同僚に対して、信仰の証言を強制されるエホバの証人

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偽神エホバとものみの塔がまき散らした産物、崩壊家族

神の創造の産物より、ものみの塔がまき散らした産物の惨状を・・・

エホバの証人の住んでいた家は荒れ放題

私の家族は、エホバの証人になったばかりに崩壊してしまった。家族3人がエホバの証人をやめたり、マインドコントロールが解けたりするタイミングがずれたために、家族として必要なモノが完全に失われてしまった。

そのため一家離散し、実家が空き家になっている。その空き家を整理するために久しぶりに実家へ入ったのだが、もう何年も誰も住んでいないので荒れ放題。このお化け屋敷には近所の人も迷惑していることだろう。

両親の部屋にはものみの塔の宗教本が大量に置いてあり、それを見ると嫌な気分になる。きっちり1冊仕入れるごとに寄付金を献上していたはずなので、莫大な金額を喪失したことになる。

エホバを褒め称える詩編は、ツッコミどころ満載

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ものみの塔が、意思を持たないただのシステムになっている

誰も得をしない寄付集金システム「ものみの塔」

カルトの集金構造

エホバの証人に限らず、すべての新興宗教にあてはまることなのだろうだが、騙している側に騙している自覚が無い。

騙している側も、自分の人生、財産、貴重な時間すべてを投げ出している。ホンモノの宗教だと盲信して、新しい信者を開拓しようとしている。誠心誠意よかれと思って、布教活動を行っている。

これがマインドコントロールされている状態。善意ある行動のつもりが、知らず知らずのうちに悪事に加担している。

そして、ほんの一部の人間が上がってくる旨みを吸っている。こいつらが確信犯で、騙している自覚があるというか、騙される奴が悪いくらいに思っている。

この旨み吸い上げの集金システムは、カルト教団にとってトップシークレット。上層部にしてみれば、自分たちがウハウハな贅沢生活を送っているなんてことは末端信者に知られてはならない。

厳重に情報統制され、末端信者たちが外部情報からトップのウハウハ生活を知ることがないよう、情報制限されている。もしくは、それを知らされてもウソ、背教者、反対者の欺瞞だと、事前に釘を刺している。

ものみの塔の収奪システムは・・・

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エホバの証人の罪悪感と贖罪、本当に救うべきは・・・

本当に救われるべきなのは・・・

エホバの証人の不毛で有害な布教活動

エホバの証人信者にとって、布教活動に費やす時間は信者の成績のようなモノ。エホバの証人は、伝道者と呼ばれる布教活動の資格を取得すると、布教にあてた時間を記録し、提出することが求められる。
(※2023年12月追記、2023年11月以降、開拓者と呼ばれる一定以上の時間要求をされる立場以外の伝道者は、時間報告が不要になった。)

この伝道者にはいとも簡単になることができる。私も小学校高学年の時には、この伝道者という資格をとらされた。そして、伝道者カードと呼ばれる紙に、自分の布教時間を記載して報告していた。

布教活動にあてる時間だが、正規開拓者と呼ばれるマインドコントロール末期症状の信者になると年間800~1,000時間。こんな多数の時間を、採算のとれない自称ボランティア活動で浪費している。

時給1,000円で計算しても、年間80万円~100万円、私の両親は、これにさらに20年という月日が乗算される。現金での寄付も毎月しているので、これだけでは収まらない。

エホバの証人活動の何と非生産的なことだろうか。勝手に自己満足しているだけならまだしも、人の家庭を不幸に追い込み、他人の人生を棒に振らせるための宗教活動。そんな不毛で有害な行為に、多額の財産と時間を捧げている。

エホバの証人のバプテスマとは

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